ジェフロワはより若い世代の画家に下絵制作を依頼することで、近代絵画の成果をより積極的に取り入れながら、国家の「現在」の姿を表そうとしている点も指摘できる。それは例えば、ジュール・ザング(1882-1942)に基づく《オーヴェルニュ》〔図10〕が、ゴーガンやナビ派を想起させるプリミティヴな表現によって同地に未だ残る伝統的な生活の素朴さを描き出し、他方、ガストン・バランド(1880-1971)に基づく《ケルシー》〔図11〕が、当世風の男女の視点を借りて、ケルシーの豊かな自然の眺望を観る者に提供していることからも明らかである。以上のように、「フランスの諸地域と諸都市」と題した本連作を企画し、個々の図像を構想する上で、第三共和政下に生きる人々と各地の多様な風景を主要モティーフとしたジェフロワの意図は、彼自身の次の言葉によく表れている。「今日の芸術家たちは、同じことは繰り返さない。彼らはもはや、国王やその宮廷を描くことはせず、自らの祖国の風景の中に、自分たちの時代の人々の姿や諸相を描き出す」(注15)。この言葉からは、「祖国の風景」と「同時代の人々」を描くことが、フランス国家の姿をタピスリーで表現してきたゴブランの伝統の保持と、タピスリー近代化の両立を果たし得る鍵となると、ジェフロワが考えていたことがわかる。5.タピスリーによるフランス国土の表象以上、いくつかの作品を手短に考察しながら、本連作の造形的特徴や当時のゴブランの方針等を明らかにした。企画発案者であるジェフロワの死により完成には至らなかったものの、本連作は、各地域の文化・地理・伝統的特徴とそこに暮らす人々の多様性を網羅的にタピスリー化することを目指し、また様々な様式の採用によってその多様性を強調しながらも、連作としての一体感が保たれていた。本連作が描き出すものはまさに、地域的な多様性を内包しながらも「単一にして不可分な共和国」(注16)である、というフランス国家の理念と実態に他ならない。主題と様式の双方において、ゴブラン製作所の伝統的機能と役割を尊重しながらも刷新を試みた本連作は、今日まで続くゴブラン存続に資する、重要な作品群として位置づけられる。結語連作「フランスの諸地域と諸都市」では、フランス国家を形成する諸地域の姿が、下絵制作者たちの巧みな構想力によって豊かに表現されていた。そのような各地の伝統やアイデンティティーはしかし、19世紀を通じた中央集権化の動きや、第三共和政の確立、あるいは画一的な「フランス国家/国民」創出の過程で失われてきた要素で― 372 ―― 372 ―
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