鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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図屛風」(静岡県立美術館)があることも指摘した。横島氏は筑波大本「野外奏楽・猿曳図屛風」の主題に関して、「「琴棋書画」、「猿曳」、「耕作図」など伝統的な画題とその図様を下敷きにして生み出された」と結論づけた。その後、守屋正彦氏は、この筑波大本「野外奏楽・猿曳図屛風」をめぐって、「猿曳図」に関しては、図中の猿曳の観衆を老子孔子釈迦に見立てることによって、この図の主題を「三教一致」とし、また「野外奏楽図」に関しては「金聲玉振」に由来するとして、両図がいずれも儒教的な主題によるものとの仮説を提出した(注4)。一方、宗像晋作氏は、筑波大本よりさほど降らない時期の類作である狩野尚信筆「猿曳・酔舞図屛風」(出光美術館蔵)〔図4、7〕を取り上げた論文で、永青文庫本の伝雪舟筆屛風に関しては、「「琴棋書画」という漢画主題の中に、本来和様の風俗である猿曳の情景が流入したもの」と解釈し、さらに探幽がこの永青文庫本を見ていたことが確かめられることから(注5)、探幽はこうした「中世の猿曳の図様を参考にして、おそらく自分なりの猿曳の図様を創り、障壁画などへ応用できる独立した絵画主題として定着させた」ものと解釈する。そして尚信の「猿曳図」は、この探幽の猿曳図様を「多少のアレンジを加えながら継承したもの」と判断した。他方、尚信「酔舞図」の図様については、「中国の酒仙イメージの酒宴人物図様に、田楽舞や雨乞踊りなどの農村祭礼にまつわる舞踊図様が融合した」ものと推定した(注6)。ここで、これから「猿曳図」を論じる前提として、「猿曳」の起源について簡単に触れておこう。中野美代子氏は「サル回し芸のことを、中国では「要猴児」あるいは「猴戯」という。その起源の詳細については不明であるが、サル回し芸人を意味する「狙公」の語が、『荘子』や『列子』などに見えることから、紀元前にはすでに発生していたこと疑いあるまい」と述べる(注7)。筒井功氏もまた、『荘子』『列子』に載る「朝三暮四」の故事から、「紀元前四世紀に中国に猿まわしがいたことは、ほとんど疑いないといえる」とする(注8)。日本には中国から奈良時代に散楽とともに伝わったものとされる(注9)。2.猿曳図と伝梁楷筆「村田楽図」これら先行研究では、筑波大本の探幽筆「野外奏楽・猿曳図屛風」や、安信あるいは尚信の「猿曳・酔舞図屛風」などにおいて一双屛風の左右に描かれる、猿曳と酔舞(奏楽)の主題は、それぞれが別の主題の作品に由来するものと想定されていた。つまり「野外奏楽・猿曳」という図様は、探幽が過去のさまざまな作品から図様を選び取って独創的に作り上げたものと考えられたわけである。しかし、こうした想定は、― 379 ―― 379 ―

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