鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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いささか不自然である。何故ならば、探幽筆筑波大本その他の屛風の左隻に描かれる猿曳は、完全には一致しないものの、ほぼ伝元信筆根津本「猿曳図屛風」の図様が継承されており、そのことから、探幽筆筑波大本の右隻の奏楽の図様は、現在は失われているものの、かつては間違いなく存在したであろう、伝元信筆根津本(この作品そのものではないかもれないが)の右隻の図様を踏襲したと考えるのが自然だからである。これまで、探幽筆筑波大本の図様が伝元信筆根津本(あるいはその類作)の図様を継承しているだろうという、ごく普通の想定を妨げていたのは、おそらく永青文庫本の伝雪舟筆「琴棋書画図屛風」の存在であろう。伝雪舟筆永青文庫本「琴棋書画図屛風」は江戸時代から細川家の名品として著名な作品であり、探幽もこの作品を見ていたことが確かめられることから、筑波大本の猿曳図様の源泉が、当然ながらこの伝雪舟筆「琴棋書画図屛風」の猿曳場面であろうとされてしまったのである。探幽が江戸狩野派における雪舟流導入を主導したという歴史的理解もまた、探幽筆筑波大本の図様の祖本を伝雪舟筆永青文庫本と想定させる原因のひとつになったのかもしれない。しかし、いったん先入観を捨てて図様を比較してみると、探幽と伝元信の両作品については、前屈みに立って左方の猿の手綱を取る猿曳の姿がほぼ一致しているのに対して、伝雪舟筆永青文庫本の猿曳はしゃがんで右方の猿を操る姿に描かれており、そもそも探幽筆筑波大本と伝雪舟筆永青文庫本とでは図様の懸隔が大きいのである。図様が近い伝元信筆根津本の存在を無視して、むりやり伝雪舟筆永青文庫本から探幽筆筑波大本が作られたとしなければならない理由はまったくない。現存する16~17世紀の漢画における猿曳の図様を概観すると、その多くは伝元信本型(立ち上がって猿を操る)に属している。伝雪舟筆永青文庫本(しゃがんで猿を操る)〔図8〕を示すのは、管見の限り、サンフランシスコ・アジア美術館所蔵の狩野探幽筆「四季耕作図屛風」や、フランシス・リーマン・ロブ・アートセンター所蔵の狩野永納筆「四季耕作図屛風」など、数例に過ぎない。立つのとしゃがむのという違いがあって、猿曳の姿そのものについて言えば伝雪舟筆永青文庫本と伝元信筆根津本とではかなり異なる図様なのであるが、村の農民を前に猿曳を演じるという舞台設定に関しては両者は共通する。祖本が同じとまでは言えないものの、同系統の主題を持つ作品がこれらの祖本としてあったと考えてもよいだろう。そしてそれらがどのようなものであったのかを考える際の手掛かりになるのが、伝雪舟筆永青文庫本の様式である。伝雪舟筆永青文庫本の表現様式が南宋時代の画家・梁楷の画風に近いことは、早く― 380 ―― 380 ―

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