注⑴ 守屋正彦「歴聖大儒像と探幽・尚信の新出屛風について」『筑波大学附属図書館所蔵 日本美術の名品─石山寺一切経、狩野探幽・尚信の新出屛風絵と歴聖大儒像─』筑波大学附属図書館、2000年⑵ 横島菜穂子「狩野探幽筆《野外奏楽・猿曳図》屛風の図様について その2」『日本美術研究別冊(特別号)美術史料による江戸前期湯島聖堂の研究 研究報告集』筑波大学日本美術史研究室、2005年⑶ 岩崎竹彦・冷泉為人・河野通明・並木誠士『瑞穂の国・日本─四季耕作図の世界』淡交社、⑷ 守屋正彦「狩野探幽筆「野外奏楽図・猿曳図」屛風とその儒教的主題について」『藝叢』31号、⑸ 三宅秀和「永青文庫 美の扉(19)伝雪舟筆 琴棋書画図屛風と狩野探幽」『茶道の研究』644号、⑹ 宗像晋作「狩野尚信筆「猿曳・酔舞図屛風」」『出光美術館研究紀要』19号、2013年⑺ R.H. ファン・フーリク著 / 中野美代子・高橋宣勝訳『中国のテナガザル』博品社、1992年⑻ 筒井功『猿まわし 被差別の民俗学』河出書房新社、2013年⑼ 『猿の文化史 猿と日本人、その歴史と信仰、芸能をさぐる』大阪人権歴史資料館、1992年いだろう。なぜなら、「村田楽」という言葉は、「北禅烹牛」という公案のもとになった、北禅智賢の故事を記す『五灯会元』中の文章に現れる語句であり、禅僧たちには広く知られた言葉だったからである(注22)。北禅智賢はここで、『法華経』の中で〈清浄な境界〉の喩えにされている「路地白牛」を、烹て食べてしまうという、破戒無慙なことを口にしている。このような文脈から、「村田楽」を唱うという行為は、「卑俗」を象徴するものであったことが想像される。おわりに伝雪舟の「琴棋書画図屛風」中の猿曳は、頭に妙な形の頭巾を巻いている。浜一衛氏の『日本芸能の源流 散楽考』の口絵には、南宋時代の雑劇のありさまを示すものとして一葉の絵画の図版が掲げられている〔図9〕のだが、そこに写る二人の人物のうちの右側の人物の被る頭巾が、まさにこの形である。この図版はもとは周貽白氏の論文「南宋雑劇的舞台人物形象」の図版〔図9、10〕であった(注23)。この頭巾は「諢裏(こんか)」というかぶり物で、南宋・呉自牧の『夢梁録』は、雑劇団中でも、楽士たちが幞頭を被るのに対して、俳優だけがこの諢裏を被ると説明する(注24)。伝雪舟筆「琴棋書画図屛風」の猿曳場面は、あるいは南宋時代の雑劇の芸態を今に伝える資料として用いることが出来るのかもしれない。1996年2015年2009年― 383 ―― 383 ―
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