鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ゴフィールド自然史博物館に収蔵されている。出品時の様子は、山田由希代氏の論考にて紹介されている(注4)。同じく綴織壁掛の原画として守住勇魚が描いた画題は「蒙古襲来の図」であったそうで、この画題は当時よく扱われていたのかもしれない。2.大英博物館所蔵の宗立作品偶然にも大英博物館所蔵の田村宗立作品(注5)を実見する機会を得たので、簡単に紹介しておく。宗立の日本画において数多く描かれている道釈人物画の一つで、羅漢を水墨で描いた作品である〔図4〕。本作はロンドンの中国・日本美術専門の美術商から1998年に購入したものとのことである。箱は木箱が紙箱に収められたよくあるもので、木箱に「羅漢」とのみ墨書されており、共箱などではなく、ラベルを剥がした跡もあることから、別の作品の箱であったものに入れられて大英博物館に収蔵されたものと考えられる。署名は「月樵道人」で、印章は「月樵」(朱文変形印)が捺される。月樵落款の作品については、松尾芳樹氏の詳細な論考がある(注6)。松尾氏によると、月樵の署名には「月」の字に2種類あり、「月」の字の下2つの横棒を点で書く「点月樵」と、横棒をつなげて「乙」の字のように書く「乙月樵」とに分けることができるという。これらの署名の変化は、明治40年(1907)から明治42年(1909)の間に起こっているとのことで、明治41年(1908)の知恩院内光玄院への転居と関係すると推測されている。大英博物館所蔵の《羅漢図》の署名は、横棒が点で記される点月樵のタイプであり、点月樵タイプの作品の署名はほぼ「月樵道人」であるという松尾氏の説とも合致している。印章に使われている「月樵」(朱文変形印)は、南瓜の蔕で作られたもので、それゆえ印の形が丸形や方形ではなく、特殊な形となっている。この「月樵」印については、大橋氏は「宗立のよほど気に入った印と見え、六十才前後の作品に盛んに使用されている」(注7)とし、松尾氏も「これは明治37年(1904)頃まで使用されていたらしい。大橋論文における印影においてもかなり摩滅を呈しているところから、素材の問題として使用に耐えなくなったというのが、現実だろう。このC印は月樵画において特徴的なもののひとつである」(注8)と述べている。本作の印章は、五角形の枠線が多少途切れながらも視認できる程度に捺されているが、枠線の右側上部の角が欠けている。《羅漢図》と同様の落款を持つ明治35年(1902)の年記が入った羅漢図や白衣観音図が多くあり、それらも印章の右側上部の角が欠けていることが多く、本作も同じ時期に制作されたものと推測される。― 391 ―― 391 ―

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