描かれているのは、岩上に置かれた宝塔を拝する羅漢の様子である。手前部分の描写は濃墨で、背景や面的な描写には薄墨を使用して、画面に奥行きを与える工夫がなされている。薄墨は、水分をたっぷりと含ませ、滲みを活かした描写となっている。3.京都国立近代美術館所蔵の《涅槃図》平成27年度(2015年度)、京都国立近代美術館に田村宗立の《涅槃図》〔図5〕が寄贈された(注9)。本紙寸法が268.0×227.0cmの絹本着色の大幅で、極彩色で描かれた本格的な涅槃図であり、宗立の代表作と言える。表具は朱色の地に金色の円を描くというシンプルなもので、金色の円は金剛界曼荼羅の月輪を想起させる。宗立の《涅槃図》については、親交があり、建仁寺の管長を務めた竹田黙雷が、宗立の一周忌を偲んで記した文章で、「佛畫の大幅涅槃像は彼の全盛期を語る唯一の大作」(注10)と言及している。他にも、大正4年(1915)に大阪毎日新聞に掲載された「京都洋畵壇の今昔」という記事でも《涅槃図》に触れている。この記事は、大阪毎日新聞社の記者であった大内秀麿が、京都の洋画壇の状況について記したもので、宗立から浅井忠を経て関西美術院の現状までを2月14日、2月21日の2日に渡って書いている。記事の最後で、「若し夫れ密畵極彩色の大作涅槃像、並に建仁寺の方丈三室に跨る大襖繪の羅漢像抔に至つては何れも彼の力量を傾け盡したもので、彼の洋畵で養ひ來つた蘊蓄は軈てここに現はれて來たのである」(注11)と、洋画の成果が反映されていると記している。伊藤快彦は、「幅十二尺高さ一丈もある涅槃圖や、建仁寺僧堂の襖繪等は傑出したもの」(注12)と、宗立の日本画の代表作として挙げており、幅12尺(約363.636cm)、高さ1丈(約303.03cm)であると述べている。表具を含めた総寸であるとしても横幅の方が長いというのは、本作とは合わないので気にかかる部分である。京都市立芸術大学芸術資料館には、宗立旧蔵の仏画粉本が約2500点所蔵されている。これは宗立没後の大正8年(1919)11月に、とも夫人より京都市立芸術大学(当時は京都市立絵画専門学校)に寄贈されたもので、六角堂能満院において大願を中心として弟子の大成、雲道、そして宗立などが制作した仏画の下図や粉本である。これら仏画粉本は調査・研究の後、『仏教図像聚成 六角堂能満院仏画粉本』として本にまとめられている。上下巻からなる大部で、「曼荼羅・如来部」、「菩薩・明王・天部」、「高僧部」、「垂迹・雑部」の4つに分類して約1000点の図版が収録されている。この上巻の「曼荼羅・如来部」に《釈迦涅槃図》として収められている6点の図版が、《涅槃図》とぴったり一致する(注13)。紙本白描淡彩の《釈迦涅槃図》6点は、いずれ― 392 ―― 392 ―
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