鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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も断片的なもので、すべてを組み合わせても《涅槃図》の全図にはならないが、図様はほぼ完璧に一致するので、下図と考えてよさそうである。ただ、『仏教図像聚成』には、これらに続いて《釈迦涅槃図周縁図》が掲載されるが、こちらは大願の作とされている(注14)。この掲載の流れを汲むと、《釈迦涅槃図》も大願の作と考える方が自然であり、その場合、宗立は大願の粉本を基にして《涅槃図》を忠実に描いたということになる。ここで、《涅槃図》に関連すると考えられる別の資料を紹介したい。宗立関連資料には多くの画帖が含まれるが、《宗立画庫》、《諸記》、《画帖》は、内容から元治元年~慶応2年(1864~1866)の間のものとわかる。この時代の画帖は、スケッチを墨で描いていることがほとんどで、仏画の下絵のようなものや人の顔のみを描いたページが多く、肖像画の下絵のような雰囲気である。一部、宗立の日本画で描かれる戯画的な描写も見られる。また、ほとんどすべてのページに描かれており、内容が充実している。明治以降の画帖類は、墨ではなく鉛筆で描いたラフなスケッチが多くを占めるようになっていく。人の顔のみを描いたページもあるが、どちらかというと人の動き、姿態に興味が移っており、芸妓や舞妓の舞姿の一瞬を捉えたようなスケッチが多く見られる。いつも画帖を身につけ、身の回りの興味の湧いた対象をスケッチしている雰囲気があり、実際に目にした様子をその場でスケッチした生々しさが伝わってくる。人の動きを捉えたスケッチの他には、寺社仏閣や見世物の会場、動物のスケッチがあり、稀に水彩で色をつけたものもあるが、空白のページが多くなっている。話を《涅槃図》に戻すと、慶応元年~2年(1865~1866)の《画帖》(注15)には、涅槃図の習作と思われるものが2ページほどある〔図6、7〕。残念ながら本稿で紹介する《涅槃図》に図様が一致する箇所は見当たらないが、人物の表情をクローズアップで描いたもので、頭に鳥の冠をかむっている迦楼羅と思われる描写もあり、皆一様に悲しみにくれた表情で描かれている。《涅槃図》を見ていて印象的なのは、人物や尊像の悲しみの表情である。釈迦の入滅に接して深い悲しみに包まれる様子を見る者に伝えるため、悲しむ表情の描写に宗立が心を砕いていたことが、《画帖》から読み取ることができる。また、《画帖》内の一部に書かれた署名から、慶応元年~2年の間に使われていた画帖であることは確実で、図様が一致しないとはいえ、《涅槃図》も早い時期に制作されたことが推測される。宗立関連資料の中に、明治16年(1883)の第12回京都府博覧会の賞状〔図8〕があり、「涅槃像大幅 画學校西宗教員 田村宗立」が「妙技賞牌ニ當ル者トス」として銅牌が贈られている。時期的に考えてもこの頃までには確実に制作されていたはずなので、おそらくこの《涅槃図》が出― 393 ―― 393 ―

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