注⑴拙稿「田村宗立研究─先行研究と所蔵資料の考察─」『CROSS SECTIONS(京都国立近代美術芳樹氏による月樵落款の検討も近年の成果である。平成30年(2018)は没後100年ということもあり、宗立の郷里にある南丹市立文化博物館にて展覧会も開催された。筆者も所属する京都国立近代美術館において、所蔵する宗立作品および関連資料を紹介する特集展示を行った。しかし、京都洋画壇の第一人者であることを考えたとき、同時期に活躍した高橋由一や五姓田芳柳、義松などの状況と比較すると、少し寂しい感じがする。この要因の一つは、洋画家として重要であると認識されてはいるものの、それに比して現在見つかっている油彩画がそれほど多くないことが挙げられる。南丹市立文化博物館の展覧会図録では、出品作品以外の作品図版もできるだけ網羅する形で制作され、これが現状、宗立作品をまとめて閲覧できる画集となる。今回の調査でも新たに発見できたのは、日本画ばかりであり、油彩画を発見するには至らなかった。京都帝室博物館に勤めた加藤修によると、「その頃生活は益苦しく、洋畵ではどうしても立って行けぬので、また毛筆畵に戻って佛畵や羅漢、逹磨などを描いて稍持ち直された樣でした」(注20)とのことで、伊藤快彦も「明治二十五六年の頃から宗立は日本畫に轉向した」(注21)と述べており、一時期から油彩画より日本画を多く描くようになったことも、日本画の方が多く遺されている理由と思われる。今後も継続して宗立の油彩画の行方を追って行きたい。https://britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=775765&partId=1&searchText=tamura&page=1(最終閲覧日:2019年8月10日)館研究論集)』vol.8、2016年、pp. 24-35⑵伊藤快彦「田村宗立翁の回想」『中央美術』第21号、1935年、p. 43⑶平光睦子『「工芸」と「美術」のあいだ─明治中期の京都の産業美術─』晃洋書房、2017、p. 88⑷山田由希代「近代京都における絵画と織物工芸との関係─二代川島甚兵衞の企画力をめぐって─」『美學』第55巻3号(219号)、2004年、p. 32⑸本作は大英博物館のコレクション検索で情報を見ることができる。⑹松尾芳樹「田村月樵の落款印章」『京都市立芸術大学芸術資料館年報』25号、2015年、pp. 1-10。「園部ゆかりの画家たち」展図録〔園部文化博物館(現・南丹市立文化博物館)〕(2005年)、「京都洋画の開祖にして真言宗の画僧 月樵道人・田村宗立」展図録〔星野画廊〕(2009年)に掲載されている月樵落款作品を対象に、分析を加え、作品の年代判定に有効であると述べておられる。⑺大橋乗保「新出の田村宗立画について」『京都工芸繊維大学工芸学部研究報告 人文』18号、1969年、p. 16― 395 ―― 395 ―
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