鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
412/643

㊲ ニコラ・プッサン作《ディオゲネスのいる風景》─後期の風景画と「隠遁」のトポス─研 究 者:慶應義塾大学 文学研究科 後期博士課程  福 田 恭 子はじめにローマで活動したフランス人画家、ニコラ・プッサン(1594-1665)は、1640年代の末から集中的に風景画を描くようになった。この時期、プッサンは「モード」の理論に代表されるように、絵画が与える心理的な効果と、それを利用した主題表現に関心を抱いていたことが知られている(注1)。他方、伝統的に風景画という芸術は、観者の精神に働きかける力を持つとみなされてきた。このジャンルの研究には、自然を描いた美しい風景画が鑑賞者に快い感情を生じさせ、その効果が「隠遁(隠棲)」のトポスと関係することを指摘する流れがある。本研究においては、同時代までの風景画に対する言説や美術愛好家たちの趣味を検討し、風景画史におけるこのテーマからプッサンの作品を考察した。本稿では、《ディオゲネスのいる風景》(パリ、ルーヴル美術館、Inv. 7308)について論じたい(注2)。1.理想的風景画の構成要素ルーヴル美術館所蔵の《ディオゲネスのいる風景》〔図1〕は、1648年に「リュマーグ氏」のために制作されたとフェリビアンが記す作品であると基本的には考えられている(注3)。「リュマーグ氏」とは、リヨンとパリを拠点として銀行業を営み、卸売商も兼ねていた一族のひとりを指すと考えられており、マルク・アントワーヌ2世に同定されるとの見方が有力である(注4)。プッサンの典拠となったのは、ディオゲネス・ラエルティオス著『ギリシア哲学者列伝』における、古代犬儒学派の哲学者ディオゲネスの逸話である。ある日ディオゲネスは、小さな子が手のひらで水を飲んでいるのを見て、ずだ袋の中の小鉢を取り出し、それを投げ捨てて「この子供は私よりも知力がある」と言った。(注5)ディオゲネスは、慣習や形式を嫌い、富や名誉などの世俗的な欲望を断った哲学者として知られている。プッサンは前景に、水を飲む若い男とそれを見つめるディオゲネス、そしてその傍に捨てられた小鉢を描いた(注6)〔図2〕。背後に広がるのは瑞々― 400 ―― 400 ―

元のページ  ../index.html#412

このブックを見る