鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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しい緑豊かな風景で、木々や川、丘、そして複数の建築物が描かれている〔図3〕。この風景を構成する「自然」の要素や後景の建築物などは、同時代までに現れていた理想的な風景描写の言説と一致する。古代の著述家たちが伝える壁画の記述や、古典文学における牧歌的な風景の描写は、ルネサンスより参照されてきた(注7)。特に、ウィトルウィウスやプリニウスが記す古代の風景画のエクフラシスは、ルネサンス以降の風景画論や制作に顕著な影響を及ぼした。そこでは美しい風景に含めるべきモティーフとして、海岸、神殿、森、丘、河、家畜や牧夫、別荘、船に乗る人や狩猟などが挙げられている。こうした風景の理想は文学における「心地よい場所 locusamoenus」とも結びつき、詩であれ絵画であれ、水辺や樹々といったモティーフは理想郷を表す際の常套句となった(注8)。プッサンに近い時代の例として言及しなければならないのは、ボローニャの理論家アグッキによる、理想的な風景画のプログラムを記した1602年頃の書簡である(注9)。そこではタッソの叙事詩『解放されたエルサレム』の一場面、王女エルミニアが牧歌的生活の喜びを羊飼いから教えられる場面を、画家がいかにして描くべきかが記されている。アグッキは「人里離れたアルカディア」のような風景を望み、そこに描くべきモティーフとして、やはり清らかな川と若草で覆われた岸辺、山や丘、谷、家畜などを挙げている。美しい風景に期待されるモティーフは古代より基本的には変わっておらず、それらは《ディオゲネスのいる風景》に認められる。前景では水辺に植物が繁茂し、中景から遠景に向かっては川が流れ、緑の草で覆われた大地が広がり、右手には丘が描かれている。2.「隠遁」の推奨と風景画の性質16世紀後半からの風景画を考える際に注目される同時代の現象が、都会の喧騒を離れ、郊外の自然の中で素朴な生活を営む「隠遁」である。同時代の辞書では、「隠遁 Retraite」は、「孤独を求め、個人的で人里離れた場所で生活をする」ために「世間の交わりから離れること」を言い、また隠遁地それ自体も意味することがあると説明される(注10)。16世紀から17世紀にかけて相次いでローマ郊外に建設されたヴィッラは、こうした「隠遁」への憧れを象徴すると指摘されている(注11)。貴族たちは古代人に倣い、意識的に郊外での生活を実践していた。それはフランスにおいても同様で、早い例ではモンテーニュが「孤独について」との題の下、自然の中での瞑想の必要性を『エセー』で記し(注12)、また17世紀の文学作品には、自然や「孤独」への― 401 ―― 401 ―

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