鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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憧れが認められる(注13)。そして、これらは単なる文学的トポスにとどまることなく、実践されていた(注14)。後に述べるように17世紀は風景画が好まれた時代であるが、その理由の一つとして、こうした隠遁への憧れが風景画の嗜好に繋がったこと、端的に言えば、隠遁を、自然を描いた風景画の鑑賞によって代行する側面があったことが指摘されている。先に挙げた風景画プログラムの書簡において、アグッキが騒々しい宮廷生活を嘆き、それが「心地よい風景画」を求める動機となっていたことは象徴的な例だろう(注15)。そもそも、風景画の発展がヴィッラの装飾と共にあったこともあり、風景画は自ずと田舎の趣を呈するが、このジャンルそれ自体を比較芸術の文脈において説明する試みもなされている。たとえばオルソンは、都市と田舎の対比は、叙事詩と牧歌、そして歴史画と風景画の違いに対応すると分析した(注16)。その説明によれば、叙事詩と歴史画は歴史を語ることを使命とし、出来事が生じる混沌とした都市を主な舞台とする。他方、自然や素朴な日常を描写する牧歌と風景画は、自然世界や田園を舞台とする。すなわち、牧歌や風景画における主役は自然なのであり、それらは聴衆または観者に、擬似的な田園生活、あるいは隠遁生活を提供する。3.コレクションにおける風景画の増加17世紀は、風景画が隆盛を誇った時代である。ローマでは、前世紀より枢機卿たちが風景画への関心を示し、16世紀の後半にはヴィッラだけではなく、教皇庁の施設も精神に休息をもたらすような風景画で装飾された。ローマでは風景画があらゆる階層に急速に浸透し、1620年頃には社会的な地位を問わずに所有された(注17)。しかし、1650年前後には既にフランス人がプッサンの顧客になっていたこと、そして本作品がリュマーグのために描かれた可能性を考えれば、フランスのコレクションにおける風景画が問題となる。シュナッペルは、17世紀はフランス人たちが風景画に夢中になった時代であると評した(注18)。また、近年サントが行なった17世紀のパリの愛好家たちのコレクション研究によれば、風景画がコレクションの中で最も高値で見積もられた例も珍しくなく、また集中的に収集されていた例もみられる。そして、収集家のタイプの中でも、とりわけ好事家と絵画愛好家が強い関心を持つ傾向があった(注19)。リュマーグ一族には、マルク=アントワーヌをはじめとして、どちらのタイプの収集家も含まれている(注20)。また、プッサンの愛好家で、リュマーグと縁戚関係にあったパサールのコレクションの半数以上が風景画で占められていたことにも、この頃の顧客たちの趣味がうかがえるかもしれない(注21)〔図4〕。風景画収― 402 ―― 402 ―

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