鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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集の動機は様々であろうが、たとえば画家シモン・ヴーエは少なくとも28枚の風景画を所有し、それらをルーヴル宮の居室に陳列することで、擬似的な自然の中での「余暇 otium」を享受する目的があったことが指摘されている(注22)。4.風景画の心理的効果ゴンブリッチによれば、ルネサンスの芸術家たちは、風景とそれを描いた絵画が観る者の精神に喜びや安らぎをもたらす効果を持つことを認識していた。たとえばアルベルティは、自然や田舎の営みが描かれた絵画を見ると気が晴れやかになり、また水辺を表した絵が高熱や不眠で苦しむ者に安らぎを与えることを記している(注23)。こうした感情の動きをプッサンの風景画を前にした同時代人も経験したらしい。ベオグラードにある《三人の修道士のいる風景》〔図5〕は、涼やかな青い空の下、深い山地の中に修道士たちを描いている。雄大な自然と隠者を表したこの作品を、フェリビアンは「静寂 Solitude」(「孤独」)と呼び、次のように評している。……《静寂》には、大地に座り読書に打ち込む修道士たちが描かれている。この作品は、あなたの精神に、ある種の安らぎをもたらさないだろうか。かくも平穏で心惹かれる荒野に修道士たちはいて、それと同じような静けさを味わいたいとの望みを抱かせる(注24)。同時代ではブオン・レティーロ宮のための風景画に代表されるように(注25)、自然の中に聖人を表す図像伝統に連なる作品と言えるが、フェリビアンは、この風景画が安らぎをもたらし、同じ静けさに身を置きたいとの欲求を生じさせると述べている。そして、最も初期の本格的な風景画論を著したロジェ・ド・ピールは、1708年に、風景画を「英雄様式」と「田園様式」に分類したが、後者の説明において、時に荒々しいその風景が「隠者たちのための隠遁の場として役立つ」と述べる(注26)。風景画論において隠遁の語が用いられた象徴的な例である。5.都市と田舎の対比改めて作品の観察に戻りたい。ディオゲネスがいる前景は、人の気配のない純粋な自然で構成されている。対照的に、後景には川を挟んで建築物が左右に描かれ、水浴する人々や木陰で休む人なども見える。人物が増えて賑やかさが増し建築物が並ぶこの後景に比べ、前景は一層閑静であり、その対比によって、ディオゲネスが特に隔絶― 403 ―― 403 ―

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