鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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された自然の中にいること、そしてその質素な生き方が際立つ。遠景に都市を示す建築物を配したこうした構図は、そのまま都会からの距離の視覚化である。この都市からの距離、すなわち喧騒との隔たりは、「隠遁」の推奨者たちにとって道徳的な側面を持っていた。知識人たちにとって、隠遁は必ずしも暇を楽しむことのみを目的とするわけではなく、また俗世界との断絶を意味するものでもなかった。田舎は学芸や哲学などの探求に適した創造的な場所でもあり、また距離を置くことで、都市で起きる諸問題を理性的に分析できる思索の場とも考えられた(注27)。プッサン自身もこうした態度を共有していたようで、1649年の書簡において、フロンドの乱で騒然としていたパリを案じながらも、遠く離れたローマからその混乱を俯瞰的に眺めることを喜びとしている(注28)。また、田園風景を題材とした文学に羊飼いは馴染みのモティーフであるが、羊飼いや農夫は、時に都会で生じる出来事を理性的に議論し、風刺する役割を担っていた(注29)。絵画においても、遠方の都市を見つめる牧夫の姿がたびたび表された。ポワンテルのために描かれたプッサンの《静穏な風景》〔図6、7〕はそうした作品の一つであり、水面にさざ波も立たない穏やかな風景の中、対岸を見つめる牧夫が描かれている(注30)。岸の手前で白い背を見せる家畜の群れと、対岸を見つめる羊飼いは《ディオゲネスのいる風景》にも表されている〔図8〕。6.ベルヴェデーレの解釈後景の左側に描かれた一際目立つ建物は、ベルヴェデーレの中庭を囲む建築群である〔図9〕。この実在する建築の引用は、デコールムに反する奇異なモティーフとして関心を引いてきた。ディオゲネスの物語の舞台はアテネでなければならないが、プッサンは16世紀ローマの建築を作品に描きこんでいる。主題の正確な再現を差し置いて意図的に選択されたモティーフと考えられるが、これまでその理由について積極的な説明は避けられている(注31)。風景画に自然のモティーフと併せてまとまった建築物を描く場合、一般的には、後者を表した部分は都会の示唆となる。先に言及したアグッキのプログラムにおいても、構図の奥か端、すなわち羊飼いの牧草地と離れている場所に城塞を描くことが望まれていたが(注32)、それは、遠方に混乱の渦中にある都市を描くことで、田舎の平穏さを強調させるためであった。では本作品のベルヴェデーレも、騒がしい都市の象徴として描かれたのであろうか。しかし、ここでは陽光に白く輝く魅力的な姿で描き出されており、これを否定的なモティーフとして捉えることは躊躇われる。そもそ― 404 ―― 404 ―

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