も、この建築物は同時代の人々にとってどのように認識されていたのであろうか。端的に述べれば、ブラマンテの設計によるベルヴェデーレの中庭とその周囲の建築複合体は、古代建築の再生とみなされていた〔図10〕(注33)。ヴァザーリは、この建築家がティヴォリやハドリアヌス帝の別荘などの古代の遺跡を熱心に調査し、それを自身の建築に活用していたことを伝えている(注34)。他方、セルリオは建築論において、古代についての章に例外的にブラマンテを含め、ベルヴェデーレのロッジアのオーダーを引き合いに出しながら、古代の優れた建築を復活させたと評している(注35)。本風景画に描かれている最も目立つ大ニッチの屋根の部分が、ブラマンテの死後に付け加えられたものであることに留意する必要はあるが、ベルヴェデーレの構想が古代に基づくものであったことは、前述の出版物などから知られていた。プッサンがこれを作品に引用したのは、その古代性を踏まえてのことではないだろうか。さらに注目されるのが、ベルヴェデーレ建設の目的のひとつが、古代のヴィッラの再生にあったことである。長方形の中庭は古代のオーダーとアーチが連なる壁面に囲まれ、劇場を思わせる階段、エクセドラ、ニンファエムを備えており、文学における古代のヴィッラの記述や、遺跡から直接把握される特徴と共通する(注36)。これが古代のヴィッラを参照していることは同時代人たちによっても認識されており、以降のヴィッラ建設の際のモデルとなった(注37)。プッサンが選択したモティーフが、古代ヴィッラの再生とみなされた建築物であることは単なる偶然とは思えない。というのも、やはり安らかな風景を見せる《静穏な風景》〔図6〕においても、プッサンはベルヴェデーレを描いている。対岸に見えるのは、中庭の北に位置するインノケンティウス8世の別荘部分である。論証することは難しいが、プッサンにとってベルヴェデーレは、「心地よい場所」、「田園生活」と言った観念と結びつく建築モティーフであり、こうしたテーマを孕む風景にふさわしい造形言語と考えていたのかもしれない。《ディオゲネスのいる風景》において、後景が、前景の自然の深さを際立たせる役割を果たしていることはたしかであろう。しかし同時に、ベルヴェデーレが喚起する古代風ヴィッラという象徴性が、緑と青を基調としたこの作品の静謐かつ穏やかな空気に調和し、観者が享受する安らぎや瞑想的な精神の動きを妨げないものとなっている。結論《ディオゲネスのいる風景》が理想的風景画の伝統的な構成要素を踏まえていることに注目し、同時代の文化的な現象であった「隠遁」の問題と併せて考察してきた。― 405 ―― 405 ―
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