鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴ 安村敏信「幕末江戸狩野派異聞」(『日本の美術館3 東京Ⅰ』ぎょうせい、1987年)、奥平俊六『絵は語る10 彦根屏風 無言劇の演出』(平凡社、1996年)、髙木文恵「彦根屏風─伝来と研究史─」(『国宝 彦根屏風』中央公論美術出版、2008年)等参照。⑵ 例えば、楽央斎模「寿永元暦頃の美人」(竹原春朝斎原画、河鍋暁斎記念美術館蔵)に、暁斎⒀ 拙稿「維摩と文殊 ─河鍋暁斎筆「大和美人図屏風」に込められた寓意─」(『畫下遊樂(二)⑶ 平山郁夫・小林忠編『秘蔵日本美術大観 四 大英図書館/アシュモリアン美術館/ヴィクト⑷ 楽央斎模「少年遊戯図」(土佐光信原画、河鍋暁斎記念美術館蔵)に、「楽央浪人」とある。⑸ 『開館30周年記念 特別展 コレクター大名 井伊直亮 ─知られざる大コレクションの全貌⑹ 「菊岡内匠」とは、直亮が本作を購入するにあたって仲介役になったと考えられている神田鍋⑺ 羽川珍重筆「彦根屏風模本」(個人蔵)の図版は、狩野博幸「彦根屏風模本 羽川珍重筆」(『学叢』9号、京都国立博物館、1987年)および彦根城博物館編『彦根屏風と遊楽の世界』(彦根市教育委員会、1990年)に掲載されている。⑻ 羽川珍重の墓石は東淵寺(下谷池之端七軒町四十番地、現台東区池之端二丁目四番二十五号)に安置されていたと、『下谷繁昌記』(明治教育社編、明治教育社出版部、大正3年〔1914〕)に収録される「羽川珍重の墓」に記されている。⑼ 前掲注⑺狩野博幸氏論文、180頁。⑽ 黒田泰三「彦根屏風の画家─狩野長信の可能性」(佐藤康宏編『講座日本美術史 第一巻 物から言葉へ』東京大学出版会、2005年)では、「彦根屏風」の作者を狩野長信と推定されている。⑾ 田中増蔵編『浮世絵画集』(明治44年〔1911〕、聚精堂)では楽央斎休真を享保頃の人としているが、これは享保年間に活躍し同じく「休真」の名を持つ狩野休真隆信と混同されたものと思われる。⑿ ボストン美術館における作品名称は以下の通り。The Planet Deity Chenxing (Mercury) attended by a monkey (Accession Number: 11.6121).⒁ 塩谷純「図版解説 ウィーン美術史美術館所蔵画帖」(『美術研究』379号、東京文化財研究所、附記 楽央斎が手掛けた模本の調査にあたり、河鍋暁斎記念美術館長 河鍋楠美様、同館主任学芸員 加美山史子様より格別のご高配を賜りましたこと、末筆ながら心より御礼申し上げます。やがて狩野派は終焉を迎えるが、連綿と描き継がれた「彦根屏風」の図様とその陰翳を帯びた淫靡な作風は、明治大正の画家たちに受け継がれることとなる。による「同門狩野楽英翁画」の書き込みが認められる。リア・アルバート博物館』(講談社、1994年、250頁)参照。─』(彦根城博物館、2016年、91頁)参照。町の楽器商のこと。 奥平俊六先生退職記念論文集』藝華書院、2018年)参照。2003年)参照。― 420 ―― 420 ―

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