鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㊴ 戦後デザイン史再考の試み:大阪1950−1980年研 究 者:大阪中之島美術館準備室 研究副主幹  植 木 啓 子はじめに─日本デザイン史における「日本」本稿は、戦後における大阪を中心とした関西地域のデザイン史の叙述すること、正確には叙述を試みることを目的としている。ここでは、何を対象として、どのような視点から論ずるかについては明示するが、デザインの定義については議論せず、デザインという言葉が使用され、それが主たる活動として認められ現在に至る分野を対象に、収集した資料を検証する。本稿の基礎となる研究活動(注1)は、戦後大阪のデザイン活動にかかるさまざまな資料、特に一次史料の遺失を防ぐこと、そして、戦後デザイン史上での大阪不在が固定化しつつあることを念頭に、大阪でのデザイン活動の顕彰を促進することを目的としている。技術史や歴史社会学を含む広義のデザイン史の分野には、さまざまな視点や対象をもつ先行研究がある。しかし、日本デザイン史として一般的に流通しているものは、出版社やデザイン職能団体による通史や、美術館や博物館による展覧会とその図録、あるいはデザイナーによる自身の経験や知見を著した回顧的論考であり、それは高等教育の場でも入門書、概要書として活用されている(注2)。こうしたデザイン史の多くにおいて強調されるのは、「誰が」「何を」「いつ」構想、設計し、あるいは実際の手で作ったかということであり、デザイナーとそのデザインを追う編み方は、作家と作品を中心に展開される美術史のそれと変わりない。また、美術史をなぞるこうしたデザイン史は、工学・技術的進展、または市場や消費者の動向、社会変化などと適度な距離を保ち、時にそれを従える特殊性をもつ。言い換えれば、それは造形としてのデザインのサクセスストーリーが約束された場であり、技術や社会、あるいは組織上の障害やその克服は、所与のデザインを成功事例として記録するための付帯情報として機能する。そして、何より「日本」というミッションが前提にある。日本を代表するデザインの選択は、日本自体というより、世界としての欧米との関係性のなかの日本に視座を置く。そこにはさまざまな地域が複雑な影響関係を構成する集合体というより、地域文化の選抜と平均化、そしてその結果の強調が図られた抽象的な日本の肖像を立ち上げざるを得ない。そのなかで日本デザイン史を編集するためにめざす地点とは異なる目的に向かって発展したものとして、戦後の大阪のデザイン活動は評価対象から外れたのではないか。これが本稿における仮説である。したがって、ここでの戦後大阪のデザイン史を再考するという試みは、大阪という地域デザイン史をその― 424 ―― 424 ―

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