「デザイン」と「モノ」地域に閉じ込めた状態で構成しようとするものではない。松村秀一は建築学生時代の自らの記憶を振り返り、「ケンチク」と「タテモノ」の違いを次のように語っている。建築学科に進学したほとんどの人が、[中略]どっぷり建築づけになり、建築を「建築家」の「作品」として鑑賞し、評価することが当たり前になっていく。挙句、「作品」ではないまちの普通の建物は目に入らなくなってくる。[中略]そんな建築学生は多くの場合、自分の住むまちを形作るタテモノをケンチクとは見ていない。[中略]しかし、私たちの日常生活は、ケンチクではなくタテモノでできたまち空間で展開している。(注3)デザイン史やデザイン評論のなかのデザインは、前述のケンチクとよく似ている。そして、私たちの日常生活をかたちづくっているのは、デザインの領域外、「作品」としての評価の対象外にあるもの、つまり「ふつう」のモノである。それは立体的なモノに限らず、広告においても同様で、戦前から戦後へと続く広告制作者やそのグループ・団体の主張と努力による図案家、商業美術家、グラフィックデザイナーという職能の「作家」への押し上げ、そしてその制作物の「作品」としての評価システムの構築が一方にあり、「作家」による「作品」の評価軸から外れる広告という大多数がもう一方に存在する。私たちの日常生活の大部分は、グラフィックデザイナーの作品ではなく、電車の中吊り、新聞の折り込み、ウェブサイトのバナーといった広告とともにある。本稿の基盤となる研究が現時点までに対象としている3つの分野、広告、家電を中心とする工業製品、工業化住宅のインフィル(インテリア)製品は、戦後大阪のデザイン史の叙述という目的をもって俯瞰すると、大阪の地理的、歴史的条件が産業としてのそれぞれの分野に異なる影響を及ぼし、盛衰の分岐点が異なることがわかる。本稿ではその余裕に限りがあるため、詳細については次稿に機会を求めるが、広告と家電については試行として、概要と例を以下に示したい。広告 ─ インハウスデザイナーという選択肢ここでは、大阪の広告制作者を取り巻く環境と状況の変化を、例として百貨店とい― 425 ―― 425 ―
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