鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
441/643

した業務として、筐体の造形を専門のデザイナーが手がけるようになった。沖電気で4号自動式卓上電話機をデザインした富永直樹は、積水化学を経て1952年に三洋電機に転じている。家電製品は、工業生産品であり消費財であり、さらには前述のようにローウィの「少なくとも3種類」発言に見られるように、企画から、技術開発、造形・設計、生産、広告そして販売に至るプロセスにさまざまな担当者が関与して世に送り出される商品である。「ある商品が売れなくて社内で問題になったときに、それが純粋にデザイン面でのことであれば、私も責任をとるし、部下にも厳しく指導する。しかし、それが営業側の問題であれば、私は関知しないと突き放すこともあったのである。営業側から商品に対して『色は赤にしてくれ』という注文があれば、『赤にしてもし売れなくても、意匠部の責任ではない』とはっきりさせたうえで対応した」(注11)と、富永は三洋電機での仕事についてふれている。「作品」を対象とするデザイン史では、価格や売り上げを評価軸に置くことはほとんどない。しかし、売り上げがすべてではなくとも、デザインを含め商品を生産する目的は販売にある。家電製品は、新たな技術や構想による商品の市場導入期以外は、上位メーカーによる商品の性能に決定的な相違はあまり見られない。ひとつの製品種類の成長期、成熟期においては、スタイリングとしての造形や機能の編集、広告や付帯サービス、価格、そして流通と販売力が、売り上げを左右してきた。販売の拡大は普及を意味する。そして普及は生活空間と日常生活への影響力の増大を意味し、時代の風景を生み出す。「作品」として大きく取り上げられないものの、生活空間と時代の記憶の一部となった例として、1960年代後半の花柄魔法瓶に端を発する花柄家電製品や家具調テレビがあるが、ここでは花柄家電製品について記述したい。花柄は家電製品ではなく、大阪の魔法瓶からはじまる。東京芸術大学の図案科を卒業して1957年に早川電機に入社した坂下清は、第一技術部に配属され、ラジオのデザインを担当するなか、第1回輸出雑貨・陶磁器デザインコンクールにナショナル魔法瓶の課題であった卓上魔法瓶のデザインで応募する(注12)。通産省軽工業局長賞を受賞したデザインは、ナショナル魔法瓶の希望により翌年商品化された。これが坂下とナショナル魔法瓶の関係のはじまりで、早川電機はナショナル魔法瓶と競合する商品がないため、坂下の同社への協力を許容したという。花柄を魔法瓶に採用するきっかけは、魔法瓶のケースに使用されていたブリキ鋼板の印刷を手がける会社社長が、新しいアメリカ製の高速フルカラー印刷機を導入し多彩な色の印刷が可能になったため、それを活かす新しいデザインを坂下に要請したことにある。従来の魔法瓶のケー― 429 ―― 429 ―

元のページ  ../index.html#441

このブックを見る