㊵ アメリカ美術とプラグマティズム─アクション・ペインティングをめぐる文脈の再検討─研 究 者:成城大学 非常勤講師 岸 みづきはじめにプラグマティズムは、アメリカを代表する哲学のひとつであるが、美術との関連について扱う研究はこれまであまりなされてこなかった。美学・美術史の分野では、プラグマティズムの創始者のひとりであるジョン・デューイが著した『経験としての芸術』(1937年)と、1930-40年代のアメリカ美術との関わりに言及する研究はわずかにあるが、個別の作家や作品、あるいは同時代の言説に関する詳細な検討はいまだ十分とはいえない(注1)。本報告論文では、アメリカ美術とプラグマティズムの関係を探る研究の一環として、1947年に発行された芸術雑誌『ポシビリティーズ』に焦点を当てる。同誌の主要な記事を、編集者のひとりであるハロルド・ローゼンバーグの論考と照らしあわせて読むことで、『ポシビリティーズ』が掲げる新たな芸術観を探る。また、ローゼンバーグが1950年代に確立する「アクション・ペインティング」批評を、『ポシビリティーズ』の文脈から新たに読み直すことで、芸術制作をめぐる彼の考え方が、デューイの芸術論に共通していることを明らかにする。1.雑誌『ポシビリティーズ』『ポシビリティーズ』誌は、1947年冬にウィッテンボーン・シュルツ社より刊行された(注2)〔図1〕。同誌は芸術雑誌であると同時に、1945年から54年のあいだに同じ出版社から公刊された芸術理論書のシリーズ「現代芸術の諸問題」(全7冊)の第4冊目でもある。「第1号」と明記されていることからもわかるように、続刊の構想もあったが頓挫したようである(注3)。同誌は、美術、文学、演劇、建築、音楽のジャンルを総合的に扱う芸術雑誌であり、編集に携わったのは、ロバート・マザウェル(美術)、ハロルド・ローゼンバーグ(文学)、ジョン・ケージ(音楽)、ピエール・シャロー(建築)である。編集の中心的な役割を果たしたのはマザウェルとローゼンバーグであった(注4)。同誌の構成は、〔表1〕に示したとおりである。本報告では、序文、「ポーとダダの討論」、およびジャクソン・ポロックによる「私の絵画は」の3つの記事を取り上げる。まず、マザウェルとローゼンバーグの連名で書かれた序文に着目しよう(注5)。― 432 ―― 432 ―
元のページ ../index.html#444