序文では『ポシビリティーズ』の芸術理念が示されるが、その概略は次のようなものである。まず芸術家や作家は、アカデミズムや政治による定式化を行わず、自分自身の経験を実践する者であると定義される。経験の実践とは、「エネルギーの変換」であり、エネルギーの変換によって出現する「確かなもの」、「未知なもの」が芸術である。一方、人間を取り巻く政治的状況は、同時代的な経験の実践よりも組織化された社会的思考を重視するよう仕向ける。その「誘惑」に屈する者は、既存の理論を選択するほかなく、そのような状況下では芸術と文学の実践は放棄されると彼らは言う。このように、政治的参与と芸術的実践は現在切り離されてしまっている。しかしマザウェルとローゼンバーグはそこから「芸術と政治的行動のあいだの場所」という別の可能性を見出すのである。彼らは次のように言う。「政治的な罠が人に薬を与えるにも関わらず、もし人が描くことや書くことを続けようとするならば、おそらく彼は最も過激な信仰を、純然な可能性に対して持たねばならない。その過激な信仰のなかで、彼は政治的存在であることがいかにドラスティックなものであるかを認識し、そのことを表すのである(注6)。」芸術的実践の「純然な可能性」を信じることは、より本質的な政治的参与へと繋がっていくと彼らは考えているようである。つまり、芸術か政治か、どちらかを取るのではなく、「芸術と政治的行動のあいだ」にとどまり続けることで、両者を止揚し社会を変革することが『ポシビリティーズ』の掲げる目的だと解釈できる。2.「ポーとダダの討論」とローゼンバーグの近代詩論以下では、序文で言われる「芸術の実践」としての「エネルギーの変換」とはいかなるものかという問題を、同誌の記事「ポーとダダの討論」を読み解きながら考察する(注7)。「ポーとダダの討論」はエドガー・アラン・ポーとリヒャルト・ヒュルゼンベックの文章から構成される。ポーの文章は、「表現」という短いエッセイの全文で、これは「マージナリア Marginalia」と題され、1844年から49年のあいだに雑誌記事などのために書かれた一群の短文エッセイのうちのひとつである(注8)。ヒュルゼンベックの文章は、1920年にドイツ語で出版された『進めダダ』からの抜粋を英訳したものである(注9)。ポーとヒュルゼンベックのあいだに直接的な関係性はないが、二つの文章は、ともに詩作の方法論を主題とする点が共通する。ポーは夢と現実の間に瞬間的におとずれる感覚を捉える方法について語り、ヒュルゼンベックの抜粋部分では、ダダが未来派から継承した騒音詩と同時詩について、独自の詩作理論が展開されている。― 433 ―― 433 ―
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