鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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マザウェルは当時、同じ出版社から刊行予定の『ダダの画家と詩人たち:アンソロジー』(1951年初版)の編集にも携わり、ヒュルゼンベックの『進めダダ』も全文がそこに掲載されている(注10)。このことから、「ポーとダダの討論」のダダ側のテクストの選択にマザウェルが関わっていたことはほぼ間違いないだろう。一方、ポーのテクストの選択にはローゼンバーグの意向が反映されていると思われる。というのも、ローゼンバーグが、ポーとボードレールを起点とする近代詩について書いた論考「詩の職業とマリタン氏」(1942年)の内容が、ポーの「表現」の内容と呼応するからである(注11)。まずは、ローゼンバーグの主要な論点を見ながら、これら二人の詩人が、『ポシビリティーズ』誌においてどのように位置づけられているかを明らかにしたい。ローゼンバーグの「詩の職業とマリタン氏」は、哲学者であるジャック・マリタンが1942年に行った講演「詩の暗い夜」への反論として書かれている。マリタンがポーとボードレール以降の近代詩の動きを「精神の自己集中」の系譜と考えることに反発し、ローゼンバーグは19世紀末からの近代詩の本質は、詩人たちが自らの置かれた社会的状況に応えるべく詩作の方法論を刷新したことにあると主張する。彼によれば、古代以来、詩人という職業は、天からの啓示としてインスピレーションを受け、それを共同社会の神話として語ることだった。詩人のインスピレーションは「超自然的なさまざまな力」から得られたものであるが、それらの力は宗教的感情や「道義心conscience」に根ざすものだった。しかし近代化によって、前時代の共同体の解体と労働の分化が起こり、詩人たちは宗教的共同体に根ざしたインスピレーションを失い、社会的な神話を語る役割も失う。近代社会では「インスピレーションは内容を失った」とローゼンバーグは言う。それにも関わらず、一方で19世紀ロマン派の詩人たちは擬似的な宗教的インスピレーションに固執し続け、他方では新古典派の詩人たちが詩作からインスピレーションを排除し、大衆強化の方法論を作り上げた結果、詩は危機に陥った。つまり詩人が社会的神話の語り手という役割を失った19世紀の詩では、元来一体的なものであったインスピレーションと詩作行為の分離が生じていたのである(注12)。そしてこの現状に向き合い、詩の危機を解決しようとしたのがポーとボードレールであったとローゼンバーグは言う。彼は、両者の試みを次の3点に示す。われわれとしてはこの新時代を画する詩の重要さは、詩自身の本質への考察にあるというよりも、[中略]作家たちの職業上の経験のなかにこそあるといいたい。― 434 ―― 434 ―

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