[中略]その経験は次のようないくつかの試みに一括される。(1)宗教的な体系への依存から解放されたインスピレーションによる創作という問題をつきつめること。(2)詩の方法を科学の実験と同じものにすること。(3)共同社会全体の創造的エネルギーを再発見すること。こういう関心のうちどれひとつとして、現代以前には詩が公に主張したことはなかった。それは現代に、そして現代にのみ直接呼応したものである(注13)。いまや、宗教的体系から自律したインスピレーションを、詩人はただ待ち受けていることはできない。彼は「インスピレーションを意識的に、実験的に働かせねばいけない」のである(注14)。そのためには、詩人は科学的実験のように、自身のインスピレーションの発動それ自体を客観的に検討し記述する必要がある。その結果、彼らの作品は読者に未知の経験をもたらし、「共同社会全体の創造的エネルギー」が新たに見出されるのだとローゼンバーグは考えている。3.ポーとヒュルゼンベックにおけるインスピレーションと詩作では、上のローゼンバーグの近代詩論を踏まえると、ポーとヒュルゼンベックの文章には、どのような関係性が浮かび上がるだろうか。まずはポーの文章に着目する。ポーは、入眠前のわずかな瞬間に起こる捉え難い「空想(fancies)」について語る。この「空想」とは、知的なものというよりは心理的な(psychal)なもので、思考のような時間的連続性をもたない点的な「印象たち」である。またその印象は「人間を超越した性質」をもち「精神の外側の世界(spiritʼs outer world)」を垣間見るような、恍惚とした「絶対的新鮮性」があると述べられている。これらの記述から、ポーの言う「空想」はインスピレーションに近いものであると考えられるだろう。ポーは、それらが「最も強く平穏な状態にある魂(soul)で生起する」と述べているように、彼にとってのインスピレーションは、自身の心的経験の内部からもたらされるものである(注15)。そしてポーは、ふだんは偶発的に生起するこうしたインスピレーションを、意識的にもたらすことを試みていると言う。その実験的方法について彼は次のように述べる。私は言葉の能力を信じる故に、時々、今言ったような捉え難い空想までも、表現できると思ったことがある。それでそれを目的とした実験においての、今までの― 435 ―― 435 ―
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