鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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教化・鑑戒のための実用的な絵の効用性を認知し、画員たちには緻密で写実的な表現を要求したとされる。また、鑑賞画としては、濃彩の彩色画を好んだようである(注11)。連続の大画面に濃い彩色を施して繊細に描写された日本の金屏風は、正祖が宮中画員たちに求めた鑑賞画、あるいは宮中の装飾画に相応しい一つの例を示していたといえるかも知れない。二、金弘道筆金鶏画屏の図様を受容した作例「金弘道筆金鶏画屏」(以下「原図」)は、どのような作品であっただろうか。残念ながら、華城が完工された1796年頃の作(注12)とされる原図は、現存しないと思われるが、その忠実な写本と推定される作品が現存する。三星美術館Leeum(リウム)蔵の伝金弘道筆「金鶏図屏風」(以下「リウム本」)〔図1〕である。何故なら、李裕元が遺した原図に関する記述(記録2)と、リウム本の画面の構成がほぼ一致しているためである。画面の中は、岩と巨木の形と、そこに付いている点苔、土坡と霞、笹や蘭、紅葉のような植物、鳥の表現など、当時の朝鮮画壇で描かれた絵というには、あまりにも異質な要素で溢れている。ただし、おおよそ丁寧に描写されているものの、写し特有の硬直した表現になってしまっている。金弘道が模写した絵を繰り返し写す過程の中で、原本の日本絵画に対する理解が不足していることから生じた結果ともいえよう。さらに、リウム本の画面の中で最も目立つのは、少量ではあるが、金箔をばら蒔いたような表現が施されていることである。日本の金屏風を基準に考えると、金の量があまりにも少ないが、朝鮮絵画としては類例のない新しい試みであったといえる。加えて、金(色)を用いたもう一箇所がある。画面の真ん中に配されている、雌雄対の鶏である。特に、絵の主人公である雄鶏〔図2〕には、丁寧に金色が塗られている。古来、金鶏は天鶏といわれ、世の中の誰よりも早く夜明けを告げる存在であり、または天命を伝えるメッセンジャーでもあった(注13)。リウム本の中央部に描かれている雄鶏に金色を塗った理由は、天鶏を表すため、そして「金(色)」という珍しい画材の効果的な使い道を示すためであったと推測する。なお、ギメ東洋美術館には、リウム本と酷似する図様で描かれた、日本旧蔵の筆者不詳「金鶏図屏風」(以下「ギメ本」)〔図3〕が所蔵されている。リウム本と比べると、同じ図様を縦に引っ張ったようであり、全体的に概ね似ているが、リウム本の第5扇にある二羽の雁は描かれていない。リウム本の第4扇の雄鶏が立つ岩に生えている菊の生え方も少し異なる。リウム本の写しであるならば、敢えて中央の扇に描かれた景― 446 ―― 446 ―

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