い。ただし、元信様(様式)の四季花鳥図屏風は、以後の狩野派にとって規範とされており、白鶴美術館蔵「四季花鳥図屏風」を忠実に写した17世紀の作例〔図6〕が伝わる。金弘道が模写した日本の金屏風の伝来時期については、今後の課題としてより綿密な調査が求められる。四、金弘道筆金鶏画屏の図様を変容した作例原図の図様は、狩野元信が創案した四季花鳥図の様式を継承した日本の金屏風を朝鮮式にアレンジして成立したものと考えられる。それから、原図の図様は朝鮮画壇において繰り返して写す過程の中で、朝鮮の受容者たちの嗜好に合わせられ、後代には朝鮮式の吉祥画により近いかたちへと変容していったと推定される。現在、原図の図様の忠実な写しとされる、リウム本とギメ本のほか、それらと影響関係にあると思われる数点の類似作が伝わる。湖林博物館蔵の筆者不詳「金鶏図」(以下「湖林本」)〔図7〕は現状、完全な一図ではない(四つの扇のみ)。もとの形がどうであろうが、主要画題の鶏が画面の中央部より一扇分、右側にずらされて描かれた作例であるといえる。画面にはリウム本とつながる要素も見られる。その反面、濃彩で描かれた景物からは、それとは異なる性格を持っていること、つまり、原図の図様が鶏をモチーフにした吉祥画に変わっていく兆しが見て取れる。雄鶏は、普通の朝鮮鶏〔図8〕の姿で描かれている。鶏の基本パターンは変わらなかったが、雄鶏は岩ではなく、木柵の柱の上に片脚で立っている。画面の植物の中では、第4扇の中央部に描かれた仏手柑が最も目を引く。原図の図様が、受容者の朝鮮人たちにとって馴染みのある題材が異質な空間の中に配置されるかたちの吉祥画へと変容していく様子を覗くことができる。絹に描かれた個人蔵の筆者不詳「宮中黄鶏図屏風」(以下「個人本」)〔図9〕は、感覚的な色遣いに対して、その画面構成は多少混乱しており、主題が曖昧になっている。確かに主要画題の雌雄対の鶏が画面の中央から右の方に二扇分もずれて描かれている。主人公であったはずの雄鶏は、岩の上に立っているが頭は画面の外に向いている。それだけではなく、画面の中央部より右側に移され、また下の低い垣によって区切られた空間の中に囲まれている。画面の中にある吉祥の題材の一つのように見えるほどである。その表現も装飾的な傾向が強いあまり、自然らしさが欠けている。近年韓国で紹介された湖林本と個人本は、金弘道由来の金鶏図の図様が、さらに朝鮮式に変容される過程を窺える作例であると判断できる。日本絵画の要素は徐々に減らされるが、朝鮮国内で吉祥の意味を持つ題材が加われ、画面を構成している。― 448 ―― 448 ―
元のページ ../index.html#460