朝鮮民画の類に至っては、岩の上に立つ雄鶏とその下の雌鶏という、原図の図様で提示された組み合わせのパターンを借りて、朝鮮風の吉祥画の背景の中に配した作例〔図10〕がある。また、朝鮮鶏の姿で描かれた雄鶏のみを残した代わりに、金泥と金砂子を多用して、幻想的な空間を演出した障子絵〔図11〕がある。前者は、金色の鶏一組を、後者は、背景の異質な雰囲気といった画面の構成要素を取捨選択しているが、朝鮮人によって見慣れている吉祥の題材を画面の中に描き込んだことは、両者の共通点といえる。なお、原図の図様(リウム本ほか)と前者の図様を合体したかのような画面構成をとったが、さらに崩れた筆致で描かれた例〔図12〕がある。このような例〔図14〕はほかにも知られており、後代の民画制作において、原図の図様が単独ではなく、花鳥図屏風の一部として活用されていく様子を窺わせる。それに加えて、時代が下る作例の場合、対の(金)鶏が同時代の民画系列の鳳凰図〔図13、15〕とほぼ同一の画面構成(太陽、桐、雛)の中に描かれていることも目を引く。このことこそ、金弘道由来の金鶏の図様が当時の人々に 天鶏(瑞鳥(注20))のイメージとして認められていた証拠といえるかも知れない。おわりに18世紀末葉に宮中画員によって制作されただろう日本の金屏風の模写本(原図)は現存しないが、それと影響関係にあると推定される19世紀の朝鮮絵画は、数点伝わる。また、本論で言及できなかったが、今年の春に、韓国・国立中央博物館の常設展示(書画館)で、原図の面影を見せる断片2点(屏風の一部であったと推定、本館5094)〔図16、17〕が公開されたことを加えておきたい。本稿で紹介した作品のほとんども近年紹介されたものであり、これからも類似作の数が増えていく可能性は十分あると思われる(注21)。朝鮮王朝時代後・末期の朝鮮画壇において「金鶏」のモチーフで描かれたそれらの類似作は、朝鮮の画家が朝鮮人鑑賞者のために、日本絵画の要素を導入して制作した作品として注目に値する。日本絵画の完璧な理解をもとに制作したわけではないが、鑑賞者たちもそのことを承知した上で作画したとすれば、逆に、そのような日本絵画らしさ、異質な画面を楽しむ目的で描かれたという、解釈もできるのではないか。本稿で紹介した関連作品の詳細な検討をはじめ、今後のさらなる議論・研究によって、18世紀後半以降の朝鮮国内における日本絵画の受容・変容の様子がより明確にされると期待する。― 449 ―― 449 ―
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