鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴筆者の博士学位論文「18・19世紀における日韓絵画交流史の研究─朝鮮通信使と東莱倭館の絵画活動を中心に─」東京大学大学院人文社会系研究科、2019年1月修了を参照されたい。本稿の内容の前提となる日韓絵画交流の新たな局面と様相を中心に論じた。本稿のテーマに関するより詳細な叙述は、第7章第1節。本稿は字数の制限があったため、現存作品の紹介に重点を置いてまとめた。):、⑹KIM Ahyoung「:・・(水原華城行宮)』水原市、2003年、『水原市史17 (正祖大王と水原華城)』展図水原華城』水原市史編纂委員会、2014年、『(華城行宮)(華城行宮の研究)」録、水原華城博物館、2016年、KIM Seonhee「)華城行宮((水原の宮闕)華城韓信大学校大学院博士学位論文、2017年8月、『(行宮)』展図録、水原華城博物館、2018年など。ちなみに、1891年に水原府が刊行した、華城の公廨(建物)や財政などをまとめた事務のための帳簿である『華城重記(華営重記)』「行宮各処排設」には「八貼画本毛面紙中屏弐坐 一坐山水、一坐黄鶏」と書かれている。この「黄鶏中屏一坐」が〔記録2〕の作品を指すと推定する。『華営重記』水原市、2008年、107(韓国語訳注)・157(影印)頁。なお、本稿では省略したが、正祖にとって華城行宮が特別な試みの場所であったことは明白であるといえる。華城行宮と金弘道筆の金鶏画屏とのかかわりについては、今後、より厳密な検証が必要とされる。(朝鮮王朝時代後期における宮中画員の研究)』Dolbegae、― 450 ―― 450 ― 相互認識:通信使行(朝鮮王朝時代後期における連幅屏風の研究─山水屏風を中心に─)」梨花女子大学校大学院修士学位論文、2012(朝鮮王朝時代後期における屏風の研究)」ソウル大年1月、金秀珍「(朝鮮王朝、屏風の国)』展図録、学校大学院博士学位論文、2017年2月、『Amorepacific美術館、2018年など。(朝鮮王朝時代後期の韓日絵画交流と相互認識─朝鮮通信使行を中心に─)」『学芸研究』2、2001年2月、203-232頁がある。⑵先行研究に、洪善杓「朝鮮後期 ⑶日本から諸国に贈られた屏風に関する最も総括的な研究は、榊原悟『美の架け橋─異国に遣わされた屏風たち─』ぺりかん社、2002年、同著『屏風と日本人』敬文舎、2018年である。近世の贈朝屏風については、前者の第5章、後者の第10章第2節。⑷1609年、日本より贈られた楊貴妃屏風の事例が代表的である。朴美姫「朝鮮国王に贈呈された『楊貴妃図屏風』─己酉条約と『金屏風五対』をめぐって─」『美術史』172、2012年3月、320-337頁。⑸原文(影印)は、『林園経済志2』保景文化社、1983年、47頁、韓国語訳は、林園経済研究所((林園経済志)贍用志─建築・道訳注『(具・日用品の百科事典─)2』楓石文化財団、2016年、242-244頁。⑺韓国古典綜合DB(http://db.itkc.or.kr/)。⑻華城と華城行宮については『⑼姜寛植『2001年。⑽現在の韓国の学界では、18世紀後半以降、宮中のみならず民間に至るまで屏風形式の作品が多く作られ、現存する19世紀の朝鮮絵画の大部分を占めるようになったきっかけとして、正祖代の宮中絵画に注目している。宰賓「正祖代 宮中絵画 (正祖代の宮中絵画の研究)」ソウル大学校大学院博士学位論文、2016年2月。

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