これらの部屋を覗き込む太陽は、無意識にその光を和らげる。そこは冬だろうか、それとも夏だろうか?それはわからないし、誰も知らない。ハマスホイの絵には夏も冬もない。それは憂いを帯びた、はるか昔の、遠い、遠い彼方にある、こことは別の世界のものである。」(注14)ハマスホイは古いアパートを好み、その室内を描いていた。画家が所有し、室内画に描いた家具も18世紀後半から19世紀前半のものである(注15)。19世紀末のコペンハーゲンで室内画が人気の画題になったことの背景の一つとして、急速に進展する近代化の中で、外界からの避難場所としてのプライベートな空間に対する関心の高まりが指摘されている(注16)。それは騒然とした公的生活から解放され、そこに逃げ込み、また閉じこもって心身ともにくつろぐ事ができる親密な空間として捉えられていた。そして殺伐とした現代社会の対極にあるものが、古き良き時代のデンマークであり、ハマスホイとその作品には、そうしたノスタルジックな眼差しが向けられていた。1902年5月8日付けのVort Land紙の評論には以下のように記されている。「・・・(ハマスホイは)過ぎた時代の美しい、消えゆくシルエットに落ち着いた色彩の詩情を重ねていく。・・・彼は誤って100年か200年遅くこの世に生まれてしまったかのようである。・・・その頃、通りの街灯はまばらで、人々は早くに就寝していた。その頃、洗練の度合いはそれほど進んでいなかったが、それでも今よりましな趣味を持っていた。ハマスホイは、今や無情にも派手でどぎつい色彩を主張する電灯の灯りの中を影のように彷徨う。自らを異邦人のように感じている彼は、未だ現代の野卑な文化の全てが押し寄せてはいない、クレスチャンスハウンの旧市街に急ぐのだ。彼は自身が過ぎ去った時代の亡霊のように感じており、同じように過去の眼差しで現代の人々を眺めている。」(注17)ウルスナとローセンヴォル・ヴィーズによれば、当時、コペンハーゲンの至る所で進む開発に伴って消えていく、古い街並みを写した写真に人々の関心が集まっていた(注18)。それらはノスタルジーの対象としてコレクションされ、眺められたものであろう。ハマスホイやホルスーウの室内画に共通する、統一感のある色調と抑えられた色彩、濃密な空気に光が拡散しているかのような夢想的な雰囲気、古い部屋に設えられた古い家具、何も語らない人物像、そして誰かがそこにいた痕跡といったモティーフ、表現は、消えゆくコペンハーゲンを捉えた同時代の写真と重なる要素でもある。― 461 ―― 461 ―
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