ギー、オランダ、スイス、アメリカ、ブラジルなどが輸出先として想定されており、中国から欧米の主要国へとターゲットが移り変わっていることが分かる。同じく横浜植木商会も、設立当初からサンフランシスコ支店を設け(注15)、明治40年(1907)にはロンドンにも支店を開設していることから(注16)、明治23年(1890)頃を境として、欧米における「園芸のジャポニスム」に対する日本の供給体制が整い出したといえるだろう。3.「花目録」にみる輸出植物の種類次に、日本からの輸出が本格化した時期の、輸出植物の具体的な種類を把握しておきたい。『大日本外国貿易年表』といった資料からは、ユリ根以外の輸出植物の詳細を知ることは出来ない。そこで重要な資料となるのが、横浜植木商会が発行していた商品カタログ(花目録)である。美しい彩色の施された植物のイラストとともに、販売用の植物のリストと価格が記載されている。輸出用の花目録としては、明治23年(1890)発行と考えられるものが最も古く、そこにはすでに150種類の植物名が掲載されている(注17)。花の咲く鑑賞用の植物が多いが、柑橘類やブドウ、イチジク、ビワ、モモといった果実類、またナラやコウヤマキといった樹木類も販売されている。ジャポニスムと関係が深いと考えられる植物としては、カエデ、ツツジ、タケ、ツバキ、キク、スイセン、アジサイ、ハナショウブ、ウメ、シャクヤク、フジといった種類が挙げられる。こうした植物は、日本からの輸出工芸品や浮世絵でも度々モティーフとして取り上げられており、日本を喚起させる植物として定着していたと考えられる。またユリに関しては、ヤマユリやテッポウユリなどの多彩なバリエーションが取りそろえられており、150種類中38種類と最多数を占めている。初めは僅かなイラストと植物リストで構成されていた花目録だが、1900年代に入ると各植物の売れ行き等に合わせて、様々な工夫が凝らされるようになる。明治37年(1904)発行の花目録では、表紙にアヤメ科の植物が大きく描かれ〔図1〕、中にはテッポウユリの栽培風景写真〔図2〕、ボタン、ハナショウブ、ツツジ、カエデ、アジサイ、ウメ、フジといった種類のイラストが掲載されていることから〔図3〕、この頃人気の集中していた種類が分かる(注18)。それぞれの植物の外見の特徴や栽培上の注意点等を、英語で丁寧に解説しているほか、栽培用の植木鉢、日本の植物のイラスト集、版画、日本の植物に関する英語書籍といった商品も加えられており、植物に関係するあらゆるものを取り扱っていたようである。また、盆栽や吊りしのぶ等をイラスト入りで紹介するなど、植物そのものだけでなく、日本の伝統的な園芸文化も― 469 ―― 469 ―
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