鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴山塙菜未「明治期博覧会における園芸振興と日本植物ブーム」『近代画説』第23号、明治美術付記本研究にあたっては、一般財団法人雑花園文庫の小笠原左衛門尉亮軒氏、小笠原誓氏に多大なるご協力を頂きました。ここに記して感謝申し上げます。園芸というジャンルが、ジャポニスムが求めていた「花鳥」や「植物」といったキーワードをまさに体現するような性質をもっていたために、美術や芸術とは異なる分野であるにも関わらず、両者の間には相互的な影響関係が生じていたと考えられる。大部分のジャポニスムの作家や作品には、多かれ少なかれ「植物」という要素が絡んでいることもまた事実であり、今後のジャポニスム研究において、輸出植物という要素を織り交ぜていくことも重要である。学会、2014年、102-119頁。⑵明治22年(1889)に官僚を中心として設立。「本邦園芸ノ振起発達ヲ図ル」ことを目的とし、設立と同時に発刊された『日本園芸会雑誌』には、海外の園芸業界の情報や輸出促進のための専門家による助言が掲載されている。⑶明治23年(1890)に、東京、神奈川、埼玉などの大手の植木屋が結集し、植物の輸出を第一の目的として発足した植木会社。日本園芸会との関係性も深く、明治後半からの植物輸出を先陣を切って推し進めた。⑷宮崎克己『ジャポニスム 流行としての「日本」』講談社、2018年、244-251頁。⑸明治期におけるユリ根の輸出に関しては、以下の文献に詳しい。鈴木一郎『日本ユリ根貿易の歴史』日本球根協会、1971年。⑹『各開港場輸出入物品高 明治三庚午正月ヨリ六月迄半ヶ年分』大蔵省、1870年、9頁。⑺前掲書、8頁。⑻『各開港場輸出入物品高 明治四辛未従七月十二月迄半ヶ年分』大蔵省、1871年、23, 25頁。⑼具体的な輸出量は、支那772梱+2,220点(約2,431円分)、アメリカ49梱(約376円分)、イギリス28梱+35点(約55円分)、フランス1梱(約50円分)、オランダ1梱(約5円分)である。イギリスとフランスへの輸出量は大きく異なるものの、金額にはほとんど差がないため、植物の種類によって値段が大きく異なっていたと考えられる。また、出荷港は横浜、神戸、大阪、長崎で、横浜からの出荷量が最も多い。『大日本各港輸出入物品年表 明治六年分』大蔵省、1873年、5, 57, 95, 111頁。⑽『大日本各港輸出入年表』租税寮、1874年、18頁。⑾『大日本外国貿易年表』大蔵省、1882年、8頁。同書、大蔵省、1890年、16-17頁。ちなみに、明治15年の工芸品の輸出額は、「陶器」が約374,195円、「漆器」が約555,304円、「磁器」が約204,446円である。⑿『大日本外国貿易年表』大蔵省、1893年、298頁。⒀前掲書、1895年、330頁。― 471 ―― 471 ―

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