㊹ マリアノ・フォルチュニの異国趣味─日本の意匠を基点として─研 究 者:三菱一号館美術館 学芸員 阿佐美 淑 子はじめにスペインのグラナダに生まれ、ヴェネツィアで制作し、パリやロンドンでその作品が販売されたマリアノ・フォルチュニ(Mariano Fortuny, 1871-1949)は、「デルフォス」〔図1〕と呼ばれる、優雅に波打つ細かなプリーツをつけた絹のドレスのデザイナーとして、20世紀前半の服飾の世界にその名を刻んでいる。「デルフォス」は、中国、または日本から輸入されたとされるさまざまな色彩の染料で染め、ゆったりと波打つ細かなプリーツを全体につけた絹のサテン地またはタフタ地を、4枚または5枚を接はいで仕立てた肩から裾までの筒状のドレスである。この「デルフォス」は、それまで女性の服飾には必須であった矯正下着であるコルセットが不要なドレスとしてデザインされた。同じくコルセット不要のドレスをデザインした、同時代に活動したポール・ポワレ(Paul Poiret, 1879-1944)、ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin, 1867-1946)らパリのクチュリエとともに、フォルチュニは現代の服飾へ至るファッションの潮流を作った人物とされる。画家、版画家、舞台美術家、写真家でもある、多彩な芸術家であったフォルチュニは、テキスタイル・デザイナーとしての評価も高かった。彼は、西洋中世やルネサンス、またアフリカ、中東、中国、日本といった、さまざまな時代と文化圏の工芸品を所蔵し、それらにあらわされた模様を自らのデザインに取り入れて絹や綿の生地にプリント(注1)し、自らデザインしたコートやケープに用いた。研究史・展覧会史「デルフォス」は1907年頃のその登場から40年もの間、プリーツを付けた一色のみの絹地を縫い合わせ、重りを兼ねた装飾のガラスのとんぼ玉を多数付けるという基本のデザインは全く変わらなかった。ポワレらのように、異なった生地を組み合わせ、色彩や形状をさまざまに変化させ、ビーズやラインストーンなどによって装飾する、といった細かな工夫を施して、年月とともに徐々に変化をつけて流行を生み出したクチュリエたちとは異なり、服飾の形状に変化をほぼつけることのなかったフォルチュニは、いわゆるモードの世界とは異なる立ち位置を保った。貴族や舞台女優などのセレブリティーに人気を誇った「デルフォス」も、フォルチュニの没後は生産が行われなくなったこともあり、フォルチュニの存在は急速に忘れられたとされる。― 474 ―― 474 ―
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