の裾にはわたを入れ、日本の打掛のような「ふき」をしつらえ、完全な写しである柄と相俟って、一見すると、日本のきもののようにも見える。ただし、襟は極端に短く、袖の付け位置が異なるなど、日本のきものとは明らかに別物である。神戸ファション美術館が所蔵する《キモノ・ジャケット》〔図15〕も、日本のきものによく似た形状をした服飾作品である。この作品は、八重桜と思われる花のついた枝と、大きなさくらんぼか桃の枝が、おそらく日本の型染めの技法で抜かれ〔図16〕、それに手彩色が施されている。模様は日本のものと思ってもおかしくないほど自然であり、参照した模様が存在するものと考えられる。想定される参照先としては、フォルチュニの母のセシリアが所蔵していた日本から輸入されたきものがあげられる。ヴェネツィアのモチェニゴ美術館に所蔵されている「桜藤流水模様小袖」および「桜花幔幕模様小袖」〔図3〕がその例で、「桜花幔幕模様小袖」を拡大してみると〔図17〕、うぐいす色のちりめん地の花と枝が型染めで抜かれており、技法も、印象も近い。《キモノ・ジャケット》の模様と技法は、恐らくフォルチュニ家の日本の染織品のコレクションのうち、これに類するものを手本として制作したのではなかろうか。フォルチュニにおける日本の位置以上のように、フォルチュニは、所蔵する日本関連の書籍から模様を取り出し、全く改変することなく布地に移し、自らのデザインとして販売した。実は、フォルチュニが丸写しにしたのは、日本の模様に限らない。ヨーロッパ由来の模様についても、両親が蒐集した染織品から模様をまるごと抜き出して利用している。作品が特定しやすい絵画と異なり、染織品は無数に存在し、通常、デザイナーは特定できない。そもそも、フォルチュニの目的は、ルネサンス期などの豪華な織りの紋ベルベットを安価に制作することでもあった。したがって、ヨーロッパの模様に関しては、寧ろオリジナリティーがなく、的確に古い時代の模様らしく見える方が、購入する顧客にとっても好都合であった可能性もある。そのことを考えれば、日本由来の模様であっても、工夫してヨーロッパ調になどしない方が、デザインで頭を悩ませることもなく、無駄な時間もかからない。服飾、染織のみならず、絵画や版画、舞台美術や舞台照明など、多彩な活動を行なったフォルチュニにとっては当然のなりゆきだったのではないか。日本関連の書籍の多さ、きものや型紙の所蔵など、フォルチュニが日本に興味があったことは疑いない。ただ、資料数が少なく、総合的には、フォルチュニの作品における日本の影響は限定的であったと言わざるを得ない。フォルチュニは、現代への服飾へと至る時代の潮流に乗り、東洋と西洋の文化の交差路としての中世からの交易― 479 ―― 479 ―
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