鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㊺ 日本の前衛美術における写真・映像の「影響」に関する研究─1930年代後半〜40年代初を中心に─(I)1930年前後─映画に触発された領域横断的な動向─研 究 者:国立新美術館 学芸課特定研究員  谷 口 英 理はじめに大戦間の欧米先進国においては、さまざまなメディア・テクノロジーの進展により、一般にマスメディア化と称されるような新たなメディア環境が成立した。そして同時期の前衛美術には、そのようなメディア状況の再編にいち早く対応し、創造概念を更新しようとする志向が認められた。ダダ、ロシア・アヴァンギャルド、バウハウス、シュルレアリスム等々の運動は、それぞれに写真・印刷・映像といった当時の新興メディアの意義に自覚的であり、また、それらが普及したことで再編された新たなメディアの布置においては創造概念や作品のあり方も再編されることを認識していた。日本においても、関東大震災(1923年)前後から昭和初年にかけて同様のメディア状況の変動が見られたが、それに対し最も鋭敏に反応し、新たな創造の地平を見出したのは、やはり前衛美術の実践だったと思われる。本研究の目的は、メディア状況の変容が日本の前衛美術運動の実践にどのような「影響」をもたらしたのかという問題の一端を、特に写真や映画等の機械に基づく新しい視覚メディアの「影響」という観点から解明することにある。研究に着手した当初はタイトルに掲げた1930年代後半から40年代初頭をメインの対象期間としていたが、制作・言説の両面において調査を進めるにつれ、この時期の基盤が作られたのは昭和初年の1930年(昭和5)前後であることが明らかになった。よって本報告では以下、2つの重要な分水嶺となる1930年前後の状況と、1937年(昭和12)前後の状況を、順に整理することにしたい。関東大震災以降の日本では、大衆娯楽誌『キング』の創刊とラジオ放送の開始(1925年)、新聞発行部数の飛躍的増大(1925年前後)、円本ブーム(1926年~30年頃)、写真電送の実用化(1928年)、トーキー映画の始まり(1931年)といったメディア史上重要な事象が集中的に生起した。そして、それらがほぼ出揃う1930年前後には、現代のマスメディア社会の原型ともいうべき社会が成立したと考えられる。当時、決定的となったメディア状況の変容に鋭敏に反応し、言説面においてひとつの重要な核を形成したのは岩波書店の『思想』誌〔図1〕だった。1928年8月に休刊し、1929年4― 485 ―― 485 ―

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