鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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月に和辻哲郎、谷川徹三、林達夫を編集陣としてリニューアル再刊した同誌には、それ以前とは明らかな知の断絶が認められる。執筆陣も大幅に変わり、純粋な哲学論文だけでなく、マルクス主義社会科学に関する論考や、現代文化を象徴する映画、写真、建築といった芸術に関する論考が増加した。特に機械文明と芸術との関係性を論じる気鋭の論客として美術史家の板垣鷹穂や美学者の中井正一が頭角を現し、ほかにも映画と建築を主要に論じた香野雄吉、映画評論家の清水光、写真批評家の伊奈信男等といった執筆陣が寄稿するようになった。現代文化を領域横断的に捉える同誌の姿勢は、板垣が編集や監修に参加した総合芸術誌『新興芸術』(芸文書院、1929年~30年)、『新興芸術研究』(刀江書院、1931年)、叢書「新芸術論システム」(天人社、1930年~31年)、中井ら京都帝国大学出身者たちによる批評同人誌『美・批評』(美・批評社、1930年~34年)、1929年1月に編集方針を大幅変更した美術雑誌『中央美術』(中央美術社)、詩人・北川冬彦が発行兼編輯人を務めた時期(1928年11月~1930年2月)の映画雑誌『映画往来』(往来社)、写真分野にとどまらない執筆陣が寄稿した写真雑誌『光画』(聚楽社、後に光画社、1932年~33年)等々に大小の影響力を発揮し、一種の言説圏を生み出したと言える。再刊後の『思想』誌とその言説圏において特権的な関心を集めたのは、サイレントからトーキーへと技術革新が進み、ニュース映画の定期上映に見られるようにマスメディアとしての社会的機能を担いつつあった映画メディアと、その理論である。当時、映画というメディアは現代性の象徴のように捉えられており、カメラ・アイやモンタージュといった方法論は、ジャンルを超えてさまざまな分野の知識人たちの関心をひいていた。特に中井正一は、映画が依拠している「機械の見る見方」を現代の芸術を基礎づける原理とみなし、「この「冷たい視覚」の「人の視覚」への浸透、これが最近の芸術、建築、絵画、彫刻に於ける大きな動きの一つではあるまいか。「個性」が一つの拡れる「集団」の性格を模倣するともいえるであろう」(注1)と述べている。すなわち中井は、映画メディアに代表される新興メディアが支配する新たな状況においては、「天才の創造、個性」といった大正教養主義的(白樺派的)な芸術観がすでに有効ではないことを認識していたと言えるだろう。映画メディアや映画理論の影響力は、言説面にとどまらず制作面にも波及し、美術、文学、写真、グラフィックといった諸芸術領域で、映画に触発された形式上・方法上の実験が同時多発的に試みられていた。そのうち美術界と関係の深い視覚芸術分野の動向として第1に、1929年から33年頃にかけて、古賀春江を中心とした二科会の前衛傾向の作家たちのあいだで盛り上がった「新傾向」の絵画の動向があげられる。1929― 486 ―― 486 ―

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