鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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8〕(神奈川県立近代美術館所蔵(注16))に用いられているような不自然なほどの近接拡大やトリミング、あるいは大胆な仰角・俯瞰当に代表される、写真らしさをことさら強調したモダン・フォトグラフィ的(注17)な視覚言語を指していると思われる。同様の絵画表現は、三岸好太郎が最晩年に集中的に発表した海、貝殻、蝶等をモティーフとした一連の油彩画〔図9〕、北脇昇の油彩画《非相称の相称構造(窓)》(1939年、東京国立近代美術館蔵)〔図10〕等にも見出されるものだ。科学技術の進展によってもたらされた顕微鏡写真、航空写真、天体写真、レントゲン写真もまた、モダン・フォトグラフィの文脈で注目されたニュー・ヴィジョンだった。吉原が1937年前後に描いたと思われる《作品》(大阪中之島美術館準備室蔵)および《風景》(同)〔図11〕は、抽象絵画である一方で、先の尾崎が指摘するように吉原旧蔵のイギリスの美術雑誌『AXSIS』8号に掲載された航空写真との類似性が見出される。また、長谷川三郎の初期の抽象絵画《メトロポリス》(1936年、個人蔵)や、コラージュ《都制》(1937年、甲南学園蔵)〔図12〕には航空写真的な視覚イメージとの、所在不明のコラージュ《海の戯れ》(1937年)〔図13〕には顕微鏡写真的な視覚イメージとの親近性が見いだされる。長谷川と同じ自由美術家協会の創立メンバーである村井正誠も、1936年以降、「URBAIN」〔図14〕、「CITÉ」、「百霊廟」、「支那の町」等の絵画シリーズで、抽象的な視覚イメージと航空写真的な視覚イメージを二重化した連作を、次々と発表していく。以上であげた作例は、モダン・フォトグラフィ的な視覚イメージを経由することにより、再現的(具象的)なイメージと非再現的(抽象的)なイメージを二重像化した絵画と言えるだろう。おわりに以上、本報告では、「写真・映像の「影響」」という観点から日本の前衛美術を捉え返した場合に重要な分水嶺とみなすことができる1930年前後と1937年前後の動向を、トピックスに分けて整理し、概観した。1930年前後の前衛的な視覚表現の一部には、この時期の重要な新興メディアである映画やその理論からの「影響」を中心に、写真や印刷といった同じく機械的なメディアの表現効果の「影響」が認められる。また、1937年前後は、美術家たちが写真というメディアを表現手段とし出し、「美術」に写真表現が取り込まれた日本で最初の時期であった。同時に、写真それ自体を表現メディアとして用いるのではなく、写真的な視覚イメージや写真メディアの特性を取り込んだ造形表現も見られるようになった。いずれの動向も1930年前後に成立した新たなメディア状況に、前衛美術家たちが意識的に対峙した成果と言えるだろう。― 490 ―― 490 ―

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