注⑴ 中井正一「機械美の構造」『機械芸術論』天人社、1930年5月、156~157頁(初出は『思想』⑵ 現在のタイトルは《超現実派の散歩》。⑶ 福岡県立美術館所蔵《RienNo.1》と推測。⑷ たとえば荒城季夫は、「第九室の殆ど全部を占めるメカニツクな作品は、さうした超現実主義的な、謂はゆるシユール・レアリスムなものである」と、「機械主義」と「シユール・レアリスム」を完全に同一視している(「二科展批判 科学的批評の立場に於いて」(『美術新論』6巻10号、1931年10月、14頁)。⑸ 中川紀元「超現実と超写実」、『アトリヱ』7巻1号、1930年1月、17頁。⑹ 横川三果「第十七回二科展を評す=尖端的傾向を主題として=」『アトリヱ』7巻10号、1930本研究のタイトルに掲げた「写真・映像の「影響」」という言い回しは、美術批評家の瀧口修造が1939年に雑誌『美術』14巻11号に発表した「影響について」というエッセイに由来している。日本の前衛絵画における「影響」の問題を分析した同エッセイにおいて注目すべきは、瀧口が前衛絵画の「影響」源として、「ピカソ」「エルンスト」「ダリ」という西欧の著名な前衛美術家の名前に先んじて、「写真」という項目を挙げている点である。この場合の「写真」とは、字義通りの写真というメディアを指すだけではなく、画像入力/出力において機械的・化学的なプロセスを経る、そして多くの場合に大量複製が前提とされた視覚メディア全般を指している。つまり、映画の映像や、印刷複製されてマスメディアによってばらまかれた写真画像等(新聞写真や雑誌のグラフ等)も含まれているということだ。瀧口は、現代における「影響」が、かつての「民俗的な移住や征服によつて、漸く交流が可能であった時代」の「影響」とは異なり、「一枚の印刷複製によつてさへ可能である」(注18)と述べる。さらに瀧口は、「写真の影響」というものが、単なる視覚的類似性に依拠した顕在的「影響」だけでなく、視覚のあり方それ自体を変質させるような人間の無意識レベルに作用する潜在的「影響」をも含むものと捉えていた(注19)。以上を踏まえると、瀧口が「写真の影響」という言葉で伝えようとしたものは、機械的メディア・テクノロジーの進展によってグローバルに広がった現代的なメディア環境が、人間の感性や芸術の創造のあり方にもたらす「影響」という、きわめて大きな射程の問題だったことがわかる。そして、そのような射程で日本の前衛美術を捉え返すことは、従来の日本の前衛美術研究に支配的だった西洋美術受容史的な観点、すなわち西欧の作家やイズムからの「影響」を特定する方法を相対化し得るのではないだろうか(注20)。本研究を今後、そのための足掛かりとしたい。再刊号、1929年4月)。― 491 ―― 491 ―
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