鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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年10月、8頁。⑺速水豊『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』NHKブックス、2009年、47~140頁。⑻大谷省吾「[作品研究]古賀春江の《海》はどこの海?」『現代の眼』588号、2011年、11~12頁。⑼速水は同作の鳥籠に入った女性のイメージが、1929年5月1日に日本で封切られたドイツ表現主義のサイレント映画『妖花アラウネ』であることを特定している(前掲80~82頁)。⑽谷口英理「1930年前後の美術と映画─「シネマ化」と領域横断の諸相について─」『都市と視覚空間─1930年代の東京とソウル─ 日韓近代美術史シンポジウム報告書』、2009年1月、1~8頁。⑾『古賀春江画集』第一書房、1931年、23頁。⑿美術史家の板垣鷹穂と共同制作した「大東京の性格」(『中央公論』1931年10月号)が最初の作例とされる。以後は『犯罪科学』誌上で、村山知義と「首都貫流─隅田川アルバム」(1931年12月)、大宅壮一と「ゲット・セット・ドン」(1932年2月)、千田是也と「フェードイン・フェードアウト」(同4月号)、北川冬彦と「玉川べり」同5月)、武田麟太郎と「蔓延する東京 その1、2」(同9、10月)、久野豊彦と「相場街を貫く」(同12月)を共同制作している。⒀瑛九「印画紙の夢」『リビングデザイン』4号、1955年4月、64頁。⒁出品目録等に掲載されている「自由美術協会展覧会規則」の「出品作品種類」より。ほかに「油絵」、「水彩(和洋)」、「コラージユ」、「オブジヱ」、「素描」、「版画」があった。⒂尾崎信一郎「吉原治良と写真の視覚」、『吉原治良研究論集』吉原治良研究会、2002年、44頁。⒃同作の年記は1931年だが、実際に発表された時期等を鑑みるとおそらく1933年頃の制作である可能性が高い。⒄ここでのモダン・フォトグラフィは、1920年代~30年代にグローバルに広がった写真史上のモダニズム運動の総称で、ドイツのノイエ・フォトグラフィや日本の新興写真のように、絵画を視覚モデルとしたピクトリアリズム写真を否定し、写真特有の視覚のあり方を追求した動向のことを指す。⒅瀧口修造「影響について」『美術』14巻11号、美術発行所、1939年11月、7頁。⒆瀧口、前掲6~9頁。⒇瀧口は「作家を主にすることが、今日の新しい絵画の影響の問題に普遍的にふれうる最良の方法だとは信じてゐない」と述べている(瀧口、前掲7頁)。― 492 ―― 492 ―

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