㊻ 17世紀後半ヴェネツィアにおけるルカ・ジョルダーノ作品の史料研究─ナポリ・ヴェネツィア間の絵画取引の観点から─研 究 者:京都外国語大学 非常勤講師 小 松 浩 之はじめに(注1)サン・マルコ湾を臨むカナル・グランデ河口付近に立つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂は、1630年にヴェネツィアを襲ったペスト禍の終息を記念するために、その後約50年の歳月をかけて建造された(注2)。バルダッサーレ・ロンゲーナ設計の壮麗きわまる聖堂のなかには6つの祭壇があり、左奥からティツィアーノ《聖霊降臨》、ピエトロ・リーベリ《ヴェネツィアをとりなすパドヴァの聖アントニウス》と《受胎告知》(1674年以前)、そしてナポリ人画家ルカ・ジョルダーノ《マリアの誕生》、《聖母被昇天》、《マリアの神殿奉献》が設置されている〔図1〕。大ドームをいただいた八角形の堂内、主祭壇に向かって右側の祭壇すべてを占めるジョルダーノの3枚の作品群(以下:「サルーテ祭壇画群」)は、マルコ・ボスキーニなどの同時代人からこのナポリ人画家による代表作と目されてきた(注3)。1667年の年記をもつ《聖母被昇天》〔図2〕を別にして、《マリアの誕生》〔図3〕、《マリアの神殿奉献》〔図4〕の年代と場所をめぐって議論が続いた(注4)しかし、近年、トゥッチ、メドゥーニョの研究によって「サルーテ祭壇画群」の納入時期が判明した〔表1〕。それによって、《聖母被昇天》は1667年、《マリアの誕生》は1669年以前、《マリアの神殿奉献》は1671年以前に、ナポリで制作された可能性が高いことが示された(注5)。サルーテ聖堂側からジョルダーノへの委嘱を裏づける資料はなおも確認されていないため、「サルーテ祭壇画群」の制作状況には不明な点が多い。近年、17世紀イタリア絵画の経済史を専門とする研究者たちは、ジョルダーノの《聖母被昇天》にかんする同時代人の証言をとりあげ、本作品をあえて安価な対価で作品を仕上げ、本来作品を注文されていた画家を出し抜いた事例として紹介している(注6)。本稿は、同時代の資料を分析し、画家と「サルーテ祭壇画群」にかかわるヴェネツィアの商人との関係を明らかにし、その制作経緯を再考するものである。第一章では、先行研究の主張の根拠となっている17世紀ヴェネツィアのパオロ・デル・セーラの書簡の読解を通じて、「サルーテ祭壇画群」をめぐる先行研究の解釈の問題点を指摘する。第二章では、「サルーテ祭壇画群」の注文に関与したと考えられるヴェネツィアの商人たちとジョルダーノの関係を作品売買の記録から跡づける。以― 496 ―― 496 ―
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