鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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上によって、「サルーテ祭壇画群」は、ジョルダーノの自主的な営業戦略の成功例というわけではなく、それまでの受注状況に比して大きな金額が動くビッグ・ディールとして制作されたことが明らかになるはずである。1.《聖母被昇天》の制作経緯をめぐる同時代の証言1-1.パオロ・デル・セーラの書簡フィレンツェ出身の絵画通パオロ・デル・セーラは、大蒐集家レオポルド・デ・メディチ枢機卿に、ヴェネツィアの代理人として絵画市場の動向を報告していた人物だ(注7)。1668年10月20日付でレオポルド枢機卿に宛てた書簡は、フィレンツェ人画家ヴォルテッラーノのためにデル・セーラが手配した作品の注文が取り消しになったことを伝えるものである(注8)。デル・セーラが筆を執ったのは、ヴォルテッラーノが受け取った前金を立て替えて返金したため、作品か現金による弁済を画家に求める旨をレオポルド枢機卿に訴えるためであった。書簡の内容を要約すると以下のとおりだ。デル・セーラは、ヴォルテッラーノのためにサルーテ聖堂の「建造監督官たち procuratori」から「聖母被昇天」を主題とする祭壇画の注文200ピアストラの額で取り付けていた。50ピアストラを前金として受け取っていたヴォルテッラーノはなかなか作品制作にとりかからず、注文からすでに数年が経過した。この状況を把握したナポリ人画家ジョルダーノは「大ティントレットのごとき戯れ un tiro da Tintoretto vecchio」で《聖母被昇天》を制作して、サルーテ聖堂の祭壇に設置した。そして、ジョルダーノと親しいヴェネツィアの「大物商人たち mercanti principalissimi」が、画家は代金を求めずに作品受領の可否を監督官の判断に委ねると口添えする。作品はすばらしく、ヴェネツィアの画家も一般の人々も称賛してやまない。監督官は評判のいいジョルダーノ作品に満足し、それを受領することを決めた。ジョルダーノは結局、監督官から135ピアストラに相当する200ヴェネツィア・ドゥカートを受け取った。監督官たちは、「報酬より名誉 più lʼhonorevolezza che il denaro」を重んじるジョルダーノをほめそやし、ヴォルテッラーノの代理人デル・セーラに嫌味を言ったという(注9)。この書簡の中心的な話題は、サルーテ聖堂の「聖母被昇天」を主題とする祭壇画である。デル・セーラの別の書簡からヴォルテッラーノは1664年までにこの祭壇画を注文されていた(注10)。一方でジョルダーノの作品として言及されたのは、「サルーテ祭壇画群」の最初の1枚、《聖母被昇天》にほかならない。― 497 ―― 497 ―

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