定される。つまり大雅は、直感によって様々な技法を選択し、個性的作品を描いた。例えば、大雅の山水図は、写実的な自然の写しであるとはいえず、風景に関しては個性的な接近を見てとることができよう。そして、大雅の山水図は、旅によって受けた印象と強く結びついている。というのも大雅は、旅を重視し、様々な日本の名所を訪ねた。特に江戸、金沢、豊後、伊勢などを旅し、そこに見られる有名な風景をモチーフにして山水図を描いたが、写生的には描いていない。例えば、すでに重要な研究が発表されているとは言うものの、大雅の作風の特質を解明するために重要だと思われるので、研究史を繰り返すことになるが、《浅間山真景図》では、対象から直接受けた風景の写しではなく、多数のスケッチなどに基づいて「描かれる風景」の構成を組み立てたため、山の「感覚」を伝える風景が生まれた。かつての研究によれば、この風景は、三重県の朝熊岳から見られる風景の写しであると思われたが、遠景に描かれた富士山が問題となった。つまり、実際に朝熊山に登ると、通常は富士山が見えない。とりわけ、富士山は、地元の住人によれば、晴れた日の朝五時頃に、日の出の前に朝熊岳から見ることができるらしい。これについては、成瀬不二雄氏の論考(注6)によって、本図の画題が「浅間山真景図」へ変更されることになったことは周知のことである。その後、出色の研究である小林優子氏の論文において(注7)大雅のスケッチが紹介され、作品の構成が再検討された。すなわち、《浅間山真景図》に限定して考えれば、各種の論考では、大雅は単なる真景を写したということではなく、風景から受けた印象を消化し、多数の要素によってイメージを組み立てたということになる。同時に、大雅の作品では、実景に近い風景を描く絵画も見られる。例えば、《児島湾真景図》には、南宗画的技法、すなわち米点を使って山が描かれ、その筆致によって湿気に溢れた瀬戸内海の空気が描かれ、浮かびの感覚が映されている。実際に、瀬戸内海の児島湾を眺めて見ると、この地域では、大雅が描くような、雲のように盛り上がる山が珍しくないということがわかる。特に本州側から四国方面へ向かうと、瀬戸大橋のあたりに小高い山の景色が目立っている。そうした風景は、児島湾を渡って、瀬戸大橋の下に向かうとよく見られるが、大雅がどの山(島)を描いたのかを指摘するのは困難である。大雅は、風景から受けた「感覚」を画面に描くことを目指したが、現実を無視したわけではない。また大雅は、日本の実景を表す山水だけではなく、中国の名所を含む絵画を多数描いた。しかし、この作品群は、想像的な山水図を扱っている。とりわけ、この多面的なイメージは、中国文人の理想を含む中国の風景、また、過去の作品という原本から写した中国の風景と日本で現実に見た風景が総合されている。そして大雅は、もちろ― 39 ―― 39 ―
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