鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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1-2.「大ティントレットのごとき戯れ」デル・セーラによると、ジョルダーノは、サルーテ聖堂の建造監督官から注文を受けたわけではなく、自主的に《聖母被昇天》を制作して祭壇に配置したという。デル・セーラは、ジョルダーノの振る舞いを「大ティントレットのごとき戯れ」という言い回しで表現した。フェラーリが指摘するように、この言い回しは、ヤコポ・ティントレットにまつわる逸話を踏まえたものだ(注11)。ヴァザーリによると、ティントレットは、他の名うての画家たちとともに、サン・ロッコ大同信会館アルベルゴの間の天井装飾をめぐるコンペティションに参加した。大同信会の面々は画家たちに1か月以内に素描の提出を求めていたところ、ティントレットは自慢の早描きで《栄光の聖ロクス》の油彩画を仕上げ、無断で天井に設置してしまった。大同信会は画家にたいし、求めたのは素描の提出であり、作品を注文したわけではないと説明する。しかし、ティントレットは、これが自分にとっての素描であると断ったうえで、大同信会に寄贈を申し出、作品を受領させた(注12)。ティントレットのこの逸話はしばしば、彼の抜け目ない営業戦略を示す事例として参照されてきた(注13)。というのも、大同信会へ作品の寄贈が、コンペティションに参加した他の画家を出し抜いてより大口の注文を獲得するプロモーションの一種と考えられるからだ。近年活況を呈す17世紀イタリア絵画の経済史研究において、デル・セーラの「大ティントレットのごとき戯れ」ということばは、ジョルダーノがその損して得取れの営業戦略を模倣したことを示すものと解釈されている(注14)。つまり、ジョルダーノは、作品を安価に見せることで、ヴォルテッラーノから作品制作・展示の機会を奪い取ったというわけだ。しかし、デル・セーラの書簡を読むかぎり、ジョルダーノが注文されていない作品を制作・設置しても対価を求めなかったことと、ジョルダーノがそれによって安価な報酬を得たことは別の話である。この逸話において、安価な報酬はあくまでも作品を作った結果であり、手段ではない。また、アルベルゴの間の天井装飾全体を《栄光の聖ロクス》の見返りと見なすとすれば、《聖母被昇天》に釣り合う見返りはのちにサルーテ聖堂を飾ることになる他の2枚の祭壇画である。「ティントレットのごとき戯れ」は、《聖母被昇天》の制作経緯を指すものであり、「サルーテ祭壇画群」全体の成立経緯を指すものではない。このようにデル・セーラの書簡においてジョルダーノがティントレット的だとすれば、それは、注文作品でもない絵を完成させ、展示し、とくに対価を求めなかったためである。それゆえ、「大ティントレットのごとき戯れ」― 498 ―― 498 ―

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