鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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を、損して得取れの営業戦略と解釈することは不適当と言わざるを得ない。2.ヴェネツィアの商人シモン・ジョガッリと「サルーテ祭壇画群」2-1.ヴェネツィアの「大物商人たち」「大ティントレットのごとき戯れ」、すなわちジョルダーノの《聖母被昇天》の制作と設置をめぐるデル・セーラの証言は、このナポリ人画家の批評史にかかわる同時代的資料として興味深いが、作品の制作状況をありのままに伝えるものかは疑わしい。というのも、サルーテ聖堂の建造は共和国政府の一大事業であり、その内部装飾を監督する責任者が、ジョルダーノ作品をそのようなかたちで受領したとは考えにくいからだ。デル・セーラ自身も、「大ティントレットのごとき戯れ」に際して、画家と親しいヴェネツィアの「大物商人たち」が聖堂の建造監督官に口添えしたことに触れている。注文から4年が経過し、もはやヴォルテッラーノからの作品を諦めたサルーテ聖堂の建造監督官たちが、「大物商人たち」を介して《聖母被昇天》をジョルダーノに注文したとしても不思議はないだろう。この「大物商人たち」は疑いなく、シモン・ジョガッリとその共同事業者グリエルモ・サムエッリである。ヴェネツィア出身のシモン・ジョガッリは、造幣局に金や銀を独占的に手配していた大商人で、17世紀後半ヴェネツィア経済界の大物であった(注15)。一方、ブレッシャ近郊出身の商人グリエルモ・サムエッリは、1669年にジョガッリの共同事業者としてナポリに移住し、ナポリ・ヴェネツィア間の貿易や両替でジョガッリと密接に連携した(注16)。とくにジョガッリは、「サルーテ祭壇画群」の納入を担当しているため、その注文にも深く関与したと考えられる。サルーテ聖堂からジョガッリへの支払い記録によると、《聖母被昇天》は1668年8月23日、《マリアの誕生》は1669年9月19日、《マリアの神殿奉献》は1671年1月5日に納入された〔表1〕。メドゥーニョは、祭壇画の納入期日がそれぞれの主題にかかわる祝日に近いことから、これらの作品が祝日に際してヴェネツィアの公衆に初披露された可能性を指摘している(注17)〔表1〕。1年数か月のスパンで1枚ずつ納入され、その時期もある程度決められていたとすれば、「サルーテ祭壇画群」はやはり、具体的に指示にもとづいて制作されたと考えるべきだろう。― 499 ―― 499 ―

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