2-2.ジョルダーノへの作品代金の支払いジョルダーノにとってヴェネツィア・ナポリ双方で活動する商人たちは重要なビジネス・パートナーだった。1660年代前半からヴェネツィアの商人との関係を築きはじめたジョルダーノは、1664-1665年には新興貴族アゴスティーノ・フォンセカの庇護をうけ、その邸宅に滞在したと考えられる(注18)。ジョガッリとサムエッリは遅くとも1660年代後半からジョルダーノに接触し、画家から複数の作品を注文・購入している。ジョルダーノの取引相手としてのジョガッリ、サムエッリの特徴は、他の商人や絵画蒐集家に転売する画商として精力的に活動したこと、そして、共和国政府にもっとも近い商人であったことだ。現在公刊されているかぎりだが、ナポリの代理人を介してジョガッリがジョルダーノに作品代金を支払った記録は3件ある。いずれも17世紀ナポリの銀行を通じて支払われたもので、今日ナポリ銀行歴史文書館に所蔵されている。以下、簡単にその内訳を見ておこう(注19)。まず、1667年12月2日、ナポリのケルブレール=カプアーノ商会を通じて、「カルロ・デッラ・トッレに引き渡すべき3枚の絵画の価格」700ドゥカートが、ジョルダーノに支払われている。カルロ・デッラ・トッレはジョルダーノとも親しかった商人で、画家から作品を購入し、他の商人や蒐集家に転売していた。デッラ・トッレがジョルダーノ作品を受領者として指名されたのは、絵画作品を保管・輸送することに慣れた同業者に一時的に預けるという意味があったにちがいない(注20)。1669年12月2日、ジョガッリは、サムエッリを通じて「9×13パルモのヘレネの誘拐」1点のために、150ドゥカートをジョルダーノに支払っている。このとき取引さえた「ヘレネの誘拐」は1パルモ=約26.7cmとして240.3×347.1cmになるが、今日確認できる同主題の作品にこの大きさに近いものは見当たらない。17世紀5つあったナポリの銀行を通じて絵画作品の対価が支払われるとき、「価格 prezzo」はおおむね完成作品の値段と考えられる。支払いに際して、作品の主題やサイズ、送付先などの情報が明示されることもあるが、多くの場合作品にかんする情報は不完全である。参考までに現在公刊されている資料から、主題、サイズ、「価格」が判明しているジョルダーノにかんする情報をピックアップしたものが〔表2〕である。「ヘレネの誘拐」にかんするサムエッリからの支払いの記録には「価格」という語は表記されていないが、〔表2〕でのサイズと主題に照らすかぎり、この150ドゥカートを作品全体の値段とみてよさそうだ(注21)。最後に、サムエッリは、1672年6月20日にジョガッリに引き渡す予定の主題不明の― 500 ―― 500 ―
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