鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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複数の絵画のために、790ドゥカートを支払っている。画家への代金の支払いはかならずしも一回で済むとはかぎらず、前金・完成時・引き渡し後と分けて支払う者もいれば、少額に分けて分割して支払う者も珍しくない。サムエッリが支払った790ドゥカートは、この時点でジョガッリがすでに支払っていた500ドゥカートと合わせて、「総額で a compimento di」1200ドゥカートにのぼるという(注22)。〔表2〕に照らしても、ジョガッリとサムエッリからの支払いは比較的大きな金額のものだったことがうかがえる。1660年から1670年代にかけて1000ドゥカートを越える代金をジョルダーノに支払った人物は限られていた。その理由は、彼らが絵画を転売する画商だったり、裕福な蒐集家の代理人だったりしたことと関係するだろう。(注注23)。2-3.サルーテ聖堂の祭壇画の価格トゥッチ、メドゥーニョによって公刊されたサルーテ聖堂からジョガッリへの支払い記録は、「サルーテ祭壇画群」の納入時期と同様に、それらの「価格」を明らかにするものであった。それによると、《聖母被昇天》は600ヴェネツィア・ドゥカート、《マリアの誕生》と《マリアの神殿奉献》はそれぞれ700ヴェネツィア・ドゥカートである〔表1〕。これらの金額は下絵や素材、輸送費などの諸費用も含めたものであろう。それでも、「価格」と記されている以上、その総額2000ドゥカートは、サルーテ聖堂の建造に際して「サルーテ祭壇画群」のために支払われた全金額とみて間違いないだろう。ここで問題となるのは、ジョガッリにたいして支払われた合計2000ヴェネツィア・ドゥカートが、ジョルダーノにそのまま支払われたのかどうかである。少なくともジョルダーノは、1668年10月9日までに《聖母被昇天》にかんして100ヴェネツィア・ドゥカートを受け取っていた(注24)。それでは、他の1900ヴェネツィア・ドゥカートがどうなったのだろうか。総額1900ヴェネツィア・ドゥカートが「サルーテ祭壇画群」の代金としてジョルダーノに支払われたと仮定すると、画家はナポリの銀行を通じてそれを受け取ったにちがいない。1667年から1671年のヴェネツィアからナポリの両替レートでは、100ヴェネツィア・ドゥカートはおおむね87-93ナポリ・ドゥカートのあいだで推移し、1900ヴェネツィア・ドゥカートは1653-1767ナポリ・ドゥカートに相当する(注25)。しかし、現在確認できるかぎりでは、ジョガッリ、サムエッリからジョルダーノへの支払い記録にこの金額に当てはまるものは見当たらない。また、前章で確認したジョガッリ、サムエッ― 501 ―― 501 ―

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