リからジョルダーノへの3点の支払い記録も、その内訳をみるかぎり、「サルーテ祭壇画群」と関連するものではなさそうだ。残念ながら現状では、ジョルダーノが「サルーテ祭壇画群」ための代金2000ヴェネツィア・ドゥカート全額を受け取ったのかは不明と言わざるをえない。3枚で2000ヴェネツィア・ドゥカート(少なくとも1740ナポリ・ドゥカート相当)の「価格」になったサルーテ聖堂の祭壇画は、画家が報酬としてその全額を受け取ることができたと仮定すると、当時のジョルダーノにとって際立って大きな取引であったにちがいない。すでに指摘したように、1660年代後半以降ジョガッリからもたらされた注文は、それまでのジョルダーノの受注状況に比して大きな金額を動かすものだった。それゆえ、「サルーテ祭壇画群」の残額1900ヴェネツィア・ドゥカートも、ジョガッリが深く関与していた以上、まとまったかたちでジョルダーノに支払われたと考えていいだろう。最後に、第1章で確認したデル・セーラの1668年10月20日付の書簡に立ち戻り、ジョルダーノの《聖母被昇天》の対価が200ヴェネツィア・ドゥカートとされていたことについて考えてみたい。すでにみたように《聖母被昇天》の「価格」は600ヴェネツィア・ドゥカートの価格であり、ジョルダーノはそのうちの100ヴェネツィア・ドゥカートを1668年10月9日に確実に受け取っていた。デル・セーラの書簡における報酬にかんする証言は、単純に《聖母被昇天》の実際の価格を知らなかったか、ヴォルテッラーノを詰るために意図的に操作したかのいずれかだろう。このことからも、実際に制作されたジョルダーノの《聖母被昇天》は、贈り物ではなく、安価でもなかったと言える。それゆえ、ジョルダーノの「大ティントレットのごとき戯れ」はやはり、損して得取れのプロモーション戦略には該当しないのである。おわりに以上、「サルーテ祭壇画群」の制作経緯について再考した本稿では、デル・セーラの証言にもとづく「大ティントレットのごとき戯れ」によるジョルダーノの営業戦略とその成果といういにしえの列伝風の解釈を退け、ヴェネツィアの有力商人シモン・ジョガッリが関与した注文である可能性を強調した。そして、1670年代初頭までのジョルダーノの経済活動の変遷に照らし、「サルーテ祭壇画群」が当時のジョルダーノにとって際立って報酬の多い注文であったことを指摘した。本稿のために行った調査では十分に確認できなかったが、以下にヴェネツィアのジョガッリの代理人として「サルーテ祭壇画群」の代金をジョルダーノに支払った可― 502 ―― 502 ―
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