注⑴The Class of 1929. Memorial Laurance P. Roberts ʼ29. Princeton Alumni Weekly (March, 2002)⑵岩生成一『新版 朱印船貿易史の研究』吉川弘文館(1985)pp. 243-261⑶関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター編『御創建1150年記念 杭全神社宝物撰』杭全部分だけを拡大し切り離して作品化されたと考えることも可能であり、新興富裕層の台頭により彼らの求めに応じて南蛮屏風がダイナミックに変貌していく流れの上に、「朱印船図屏風」も誕生したと推測できる。外交政策や国内風俗も小刻みに変わり世の中の諸相が変化し続ける中で成立した「朱印船図屏風」をさらに深く知るには、埼玉県立歴史と民俗の博物館本だけではなく、国内外の「南蛮交易図屏風」をさらに調査する必要がある。また、本屏風に横たわるもう一つの謎である衆道的表現をどのように解釈するかも大きな課題である。清水寺奥の院には「御宝前諸願成就皆令満足施主 菊井吉太郎 敬白 正保四年(1647)正月吉日」の銘記のある「若衆図絵馬」が奉納されている。これも『扁額軌範』第二篇附録に本絵馬の縮図とともに掲載され、当時の男色事情について言及されている(注8)。そもそも、若衆を描いた絵馬を奉納することにどのような意味があったのだろうか。果たしてこのような絵馬が諸願成就に結びついたのだろうか。清水寺本「若衆図絵馬」を改めて調査を行い、「朱印船図屏風」の図像に隠されたメッセージを紐解き、衆道的世界との関係についての考察も併せて深めたい。神社(2010)p. 73⑷泉万里「招福主題としての唐船」『第一回かざり研究会シンポジウム報告書〈風流とかざり〉』(1990)pp. 53-55⑸土居次義『絵馬 清水寺』清水寺(1981)pp. 89-93⑹成澤勝嗣「近世初期風俗画としての南蛮屏風─その誕生から変貌まで─」、坂本満他編著『南蛮屏風集成』中央公論美術出版(2008)p. 303⑺岩生成一前掲書、p. 80、p. 235⑻土居次義前掲書、pp. 114-115― 515 ―― 515 ―
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