鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㊽ 近現代の仏像における造形性と宗教性─広島・長崎・沖縄の平和公園内の観音像を中心に─研 究 者:駒澤大学 仏教経済研究所 研究員  君 島 彩 子はじめに日本美術史の中で仏教美術の占める割合は大きく、特に近世以前の彫刻史においては、大多数を仏像が占めている。仏像は信仰の対象として制作されたものであり、宗教性を無視して仏像を理解することは出来ない。だが仏像研究では、造形的特徴に注目が集まる一方で、宗教性に関する検討は少なかった。明治期、西洋からもたらされた近代的仏教学が知識人や学者を中心に広まり、近世まで民衆が慣れ親しんだ仏教は非科学的なものであると認識された(注1)。釈迦を実在の人物とする仏教学の影響は、仏の姿を表した像を「仏そのもの」として捉えることを困難にした。「一切衆生悉有仏性」とする天台本覚思想の影響による仏像に対する信仰や仏像がもつ霊験などの信仰は薄まり、変わって仏像に対する文化財や美術作品としての意味が強固となった。しかしながら、近代以降も戦争や自然災害によって亡くなった多くの死者の慰霊・供養、そして破壊された町の復興を願う切実な願いから仏像が発願され造立されてきた。このような「信仰」から生み出される新たな仏像は、展覧会に展示される彫刻作品のように造形的特徴のみで評価されるものではない。つまり仏像の造形性だけでなく宗教性の検討が重要となる。本論文では広島、長崎、沖縄の「平和公園」に設置された観音像の比較検討から戦後日本における仏像の造形性と宗教性について比較検討を行う(注2)。平和公園においては、「平和」を象徴するモニュメントが重要な役割を果たしており、その一形態として観音像が選ばれている。原爆が投下された場所に造成された広島市の「平和記念公園」と長崎市の「平和公園」、沖縄戦の終焉の地に造成された沖縄県糸満市の「平和祈念公園」、3つの公園には観音像や観音像に類似する彫刻が存在している。公共的な平和を祈る空間において共通して観音像が求められたのはなぜなのか、本稿では、その背景にある造形性と宗教性を明らかにする。1.広島市「平和記念公園」の《平和乃観音》広島市の平和記念公園北側は、かつて多くの人々が暮らす中島本町という街であった。1945年8月6日、ほぼ爆心直下となった中島本町の町並みは一瞬にして壊滅した。― 519 ―― 519 ―

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