冠飾・耳朶は別に造って貼り付けている。両作例は型取りされた面部については法量が一致しており(注21)、同范とみられるが、頭髪・冠飾の形と彩色で像毎に変化をつけている。b、キジル石窟「最後窟」(注22):ドイツ隊のル・コックは同窟で採集した塑像を紹介するとともに、これらが型を用いて制作されていること、同范の作例が見られること指摘している(注23)。例えば、現存するIII7930・III7946〔図15〕は、前者が丸い帽子を被り、後者が頭頂でクロービュス型に髻を結う点は異なるものの、面部はいずれもやや眉根を寄せ張り詰めた表情を見せ、額の中央が盛り上がり、頬骨が高いなど起伏の形状が一致しており、同范であることが確かめられる。またル・コックの報告で〔図26b〕として上記の作例とともに紹介されている人物頭部は、上記の2作例と同様、額中央の特徴的な隆起がはっきり見てとれ同范とみられるが、型取りした後に口元のみ手びねりで成型し、口を軽く開き歯をみせる表情に変えられている。以上のように、キジル石窟では同范塑像を手びねりや彩色などの手作業によっていわばカスタマイズすることで、形姿に変化をつけている。②カラシャール、ショルチュク寺址: カラシャールは西ウイグル王国初期の中心地とも目されている。クチャ地域と比較して、カラシャールでは壁面を塑造群像で埋め尽くす「塑像寺院」とも呼ぶべき寺院形式が多い。塑像を量産するために、この地域において型の使用法が発展したことは想像に難くない。実際に、ショルチュク遺跡の工房跡と見られる部屋からは大量の型が出土している。注目すべきは、頭部のみならず、体部・腕など、身体のパーツをあらわした型が発見されていることで、マニュファクチュア的な制作過程が想像される。ショルチュク剃髪洞採集のIII7871バラモン像と、番号不明の天人/貴人像の2件が、面部は同范ながら、鬚や頭髪で別の尊格を表現していることは興味深い〔図16〕。眼を丸く、大きく見開いた表情は本来バラモン像の型であり、これを天人/貴人像の類型に転用したものであろう。カラシャールでは手びねりを極力省き、型の組合せや異なる人物類型への転用によって、塑像の形姿に変化をつけている。クチャ・カラシャールとも、同じ類型・法量の塑像群の制作には、一つの型を利用して如何に変化をつけるかということに主眼が置かれる。トルファンのα寺院で正門を守る一具の塑造護法神(同じ類型・法量)に、敢えて異なる文化系統に由来する図像/型が採用されていることは、上で見たような西域北道塑像のあり方とは異質であり、α寺院の特色と言えよう。本研究では、α遺址出土品の中でも塑像に注目したが、この他にも同遺址からは壁画・絹画・写本・建築部材など多岐にわたる大量の出土品があり、その全貌はまだ知― 533 ―― 533 ―
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