鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㊿ 英国の刺繍史における〈ゴールドワーク〉の宗教性とその展開─12−15世紀「オーパス・アングリカヌム」作品群の金糸技法からの考察─研 究 者:女子美術大学 非常勤講師  山 下 ちかこはじめに英国の「刺繍芸術」である「オーパス・アングリカヌム」(Opus Anglicanum/ラテン語でイギリスの作品)は最も豪華な刺繍形態の一つで、中世ヨーロッパの国々に輸出され、12-15世紀に王室や貴族の衣服や家具、装甲や旗等、キリスト教の典礼から、聖具、高位聖職者の祭服にまで用いられ、現在では美術館や博物館、大聖堂に収蔵され、研究されてきた。バチカンの1295年の目録には100以上の英国刺繍の項目が記録されている。筆者はこれまでの研究過程において、ヨーロッパの博物館・宝物館に散逸する「オーパス・アングリカヌム」作品群の歴史的背景・特殊技法・素材・象徴的表現などを調査・整理してきた。この調査では、英国で生み出された「アンダーサイド・カウチング(Underside Couching)〔図1〕」という刺繍技法に注目した。この技法は、これまでの筆者の調査から英国のみで用いられ、特に「教会刺繍」に多く見られ、司祭が着用する祭服などに、金糸刺繍「ゴールドワーク(goldwork)」により聖なる光の象徴性を表現している。この金糸表現による「シャインネス(輝き)」は、「教会刺繍」が目的とした「光輝」を表している。この「光輝」の創造に注目して、「金糸」の光の表象性を調査し、考察した。「アンダーサイド・カウチング」とは、土台布の上に横たえた糸を、別の糸で土台布の裏面に別糸が見えない程度に引き込み、縫い留め付けていく技法である。土台布が見えないほど密に金糸で「アンダーサイド・カウチング」を施しても、引き込んだ金糸の窪みがヒンジのように働き、土台布に柔軟性が残り黄金の布のように仕上がる。この技法は手間がかかるので、15世紀初頭以降にはコスト削減の為、早く仕上がり効果的なサーフェイス・カウチング(Surface Couching)〔図2〕や、オ・ニュエ(OrNué /シェイデッド・ゴールド(Shaded Gold))〔図3〕などに代わり、イタリアの織物技術の発達や流行の変化により使われなくなった。旧約・新約聖書の場面が刺繍され、光輝くコープ(Cope/半円形状のマント)は、装飾写本にみられる文様が背景の隅々まで丹念に縫いこまれたものもあり、特筆すべきものである。オーパス・アングリカヌムで使われている主な金糸は、銀の金箔を細く切り、絹の芯糸に巻いて撚った撚金糸で、最高級の金糸は、金や銀を薄く伸ばして― 539 ―― 539 ―

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