鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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⑤中世歌仙絵の諸相─「似絵」風表現と歌仙絵受容者の考察─〔はじめに〕〔歌仙絵の始発について〕研 究 者:奈良県立美術館 学芸員  三 浦 敬 任我が国において、平安時代から長く描き継がれてきた絵画として歌仙絵がある。現在そのほとんどが断簡となって伝わっており、その和歌と書、そして歌人の風貌が広く愛玩されてきたことが偲ばれる。近代以降の歌仙絵研究では、歌仙絵のなかで最も著名な作例である大正時代に秋田藩佐竹家より出た「佐竹本三十六歌仙絵」(以下、佐竹本)を中心に論じられており、明治初期の黒川真頼『考古画譜』の記述(注1)を参考として、歌仙絵諸作における似絵様式について信実真筆との距離が測られ、後京極良経筆という伝来についても書流の検討が行われてきた(注2)。近年、伊藤大輔氏が「似絵」という表現方法についてその価値を論じた(注3)ことに関連して、笠嶋忠幸氏は佐竹本詞書の後京極流書風の意義について考証された(注4)。また、土屋貴裕氏は歌仙絵諸作に対看写照の「似絵風」表現が用いられることが鎌倉時代中後期の限定的な現象であることを指摘しており(注5)、中世歌仙絵に関する議論が活発化している。本報告ではこれら先学に導かれながら、歌仙絵に関する史料と佐竹本「住吉大明神」断簡に焦点をあて、次の二点を述べたい。一つは歌仙絵初発期の絵画受容の動向から佐竹本への流れ、もう一つは佐竹本の表現の位置づけである。それをもって中世歌仙絵研究で重要視される似絵表現、そして受容実態の考察の一助としたい。先行研究では、佐竹本〔図1、2〕をはじめとする鎌倉時代中後期の歌仙絵のとくに顔貌表現に関して、佐竹本が藤原信実筆と伝来することもあり、顔貌に細線を引き重ね、顔の輪郭やそのパーツを表す似絵風の表現がなされると指摘されてきた(注6)。また、新しい時代の歌人と古い時代の歌人を番えた「時代不同歌合絵」〔図3〕についても同様に、平安末から鎌倉時代の歌人は対看写照の意識の基に絵画化されることが指摘される(注7)。では、このような似絵表現を用いた「歌仙絵」はなぜ生じたのであろうか。以下では史料を参照しながら、中世的歌仙絵の始発と当時の絵画受容の動向を検討する。以下の史料は、先学によって語り尽くされてきたものであるが、再検討してみたい。― 44 ―― 44 ―

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