鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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(2)外国人画家の描いた作品とその影響:A.A.J. ペヨンの場合上述したように、オランダ国立世界文化博物館において最も所蔵作品が多いのは、ベルギー人画家のペヨンである。1792年にブリュッセルで生まれ、滝の画家アンリ・バナッシェ(Henri Van Assche)に学んだペヨンは、1817年から1826年までオランダ領東インドに滞在。オランダ人博物学者のラインヴァルト(C.G.C. Reinwardt)博士や自然科学委員会のために働いた。現存作品が多いのもさることながら、この画家がインドネシア近代美術の形成期において無視できないのは、1820年から1825年までの間、当時10代前半だったラデン・サレーに西洋絵画の手解きをしたことにある。ここで簡単にペヨンの関連作品476点を概観してみたい。まず大きくジャンル別に見ると、風景画314点と風俗画162点に分類できる。ここでいう風景画には、鳥瞰的な地形図や動植物を描いた写生画が含まれる。また風俗画には肖像画的な素描も含めたが、それは被写体の個性を感じさせるほどではなく、どちらかといえば風俗・人種を記録することを目的とした写生画である。技法やモチーフ別にさらに細かく分類すると、以下のようになる。【風景画 314点】風景画 30点(油彩・画布、額装、80×110cm程度)風景画 65点(油彩・紙または亜麻布、額なし、30×40cm程度)風景画 200点(水彩または素描)地形図 9点(水彩または素描)動物画 10点(油彩または素描)牛2、山羊1、虎1、猿1、ムササビ1、魚4【風俗画 162点】風俗画 150点(水彩または素描)人物62、道具・建築・彫像88肖像画 12点(水彩または素描)ペヨンは476点もの関連作品を残しているが、その多くは水彩画か素描であり、油彩で描いた風俗画はひとつもない。また完成作品とよべる額装された油彩画30点はどれも風景画である。これが意味するのは、ラインヴァルト博士との関係や作品の記録的性格からも明らかなように、風俗画をもっぱら文化人類学的な関心から描いたということである。他方、風景画からはペヨン本来の芸術的な関心や試行の痕跡、さらにはインドネシア近代美術史における興味深い影響関係を読みとることができる。というのも、20世紀初頭に「ムーイ・インディ(美しい東インド/Mooi Indië)」として流行した風景画の歴史を遡ると、そこには19世紀のペヨンに始まり、アブラハム・サルム(Abraham Salm)、ウィルセン(F.C. Wilsen)、チャトル(F.J. van Rossum du Chattel)― 563 ―― 563 ―

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